「平和主義者が陥り易い問題」
世界のどこかで戦争や内戦が起きている。世間を見渡せばイザコザだらけ。誰だって諍い事は避けたい。見るのでさえも不愉快なことである。
だからと言って身近で起きている揉め事を「はいはい、どっちもどっち、仲良くしましょう!」と、まるで駄々っ子をあやすように有耶無耶な仲裁などしてはならない。諍い事には必ず原因があるからだ。
戦国時代に「喧嘩両成敗」という公正さよりも軍の規律を優先させる、ある種の無法状態への対応があった。秩序維持を、公正さの確保よりも重んじる方法で、これを今でも正義論として推し進める人がいるので困る。そういう人は、そもそも仲裁しようという気持ちも無ければ、互いの言い分を聞いて一肌脱ごうなどという覚悟も無い。つまり、「事なかれ主義者」が殆どだからだ。
こういう「事なかれ主義者」はいつも心が平安だ。何故なら「事なかれ」なので、他人のために自分の時間や労力を使うことが無いからだ。そういう人は、自分を平和主義者、平和の使者だと認識しているので全くもってお花畑な人が多い。しかし、私たちは、こういう一見平和な人に惹かれるのも事実だ。いつも平安なのでニコニコしているわけだし、自分のお花畑で蝶々を追ったり、流れる雲を眺めているだけなので、口から出る言葉も柔らかく滑らかだからだ。物事を相談しても、「きっとAさんはあなたにお金を返したつもりでいるのでしょう」とか、「Bさんは忙しいそうだから、忘れているのでしょうね。」というような、AさんやBさんの代弁までしてしまう。何となくソフトな返答なのだが、コレ、一つも解決に至っていない。ともすると、無責任極まりない虚言とも言えるのだ。
他人の問題に立ち入るのがいいわけではないが、相談を持ち掛けられたら、その場しのぎの対応をせず、問題点を共に探るくらいのことを私はしたいと思う。
心を配ること。これを心配と言う。
心を配られたら、誰もが嬉しいものだ。
ところで、筆者は大病を患っている。が、友人らがLINEやテキストやカードでそれとなく心を配って下さる。大袈裟な家庭訪問やギフトなど要らない。心を配られる度に真の平和に包まれる。多謝。
*****リリコイ*****
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