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 「パラオの日本の心」

 8月の声を聞くと、あのおぞましい広島・長崎の原子爆弾と15日の天皇陛下の玉音放送が甦ってきます。8月15日は日本の78回目に当たる終戦記念日。太平洋戦争についての様々な逸話は山ほどありますが、日本は終戦後、先人たちから受け継がれてきた古いものをすべて否定してしまっただけでなく、戦地で命をかけて戦った人々をまるで犯罪者のように扱いました。だから戦争の話をすることはいけない事だと思わされて現代にいたりました。

 ですが時代は変わりました。「日本には建国以来3千年、日本民族が大事にしていた世界観があり、日本の精神があり、それを守り続けなければならない」という誇りを立派に受け継いだエピソードを8月になると思い出し、簡単に述べてみたいと思います

 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、パラオ共和国の「天皇の島」ペリリュー島を死守した日本兵の壮絶な話です。フィリピンとニューギニアの中間に位置する「パラオ共和国」は大小200の島からなる独立国です。第一次世界大戦後はドイツによる統治から30年間日本による委任統治が行われました。日本は台湾や朝鮮と同様に、インフラ整備をはじめ教育、医療施設の整備を行い、パラオの生活水準の向上を推し進めました。

 1944年9月、まさに第二次世界大戦末期、米軍はフィリピン奪還の足場とするために、ペリリュー島にある日本軍が造り上げた飛行場を盗りに来たのです。中川大佐率いる島の守備隊は、日清、日露戦争で名高い水戸歩兵第二連隊を中心とした11,000人。対する太平洋艦隊の最強部隊海兵師団ほか48,000人。しかも米軍の火力は数百倍という圧倒的な差があったから、米軍はペリリュー島をたったの3日で落とせると計算をしていたようです。

 日本軍は勝てる見込みはあったらしいが、米軍が日本本土に攻めてくるのが予想され、それを一日でも長く遅らせれば、日本本土の軍事の守備が整い決戦ができるとパラオ司令部は判断。米軍を一日でも足止めさせる防御戦が選ばれた。具体的には、守備隊長の中川大佐は、サンゴで出来た500の洞窟に坑道を掘って要塞化し持久戦に備えた。上陸してきた米軍は予想外の反撃を受け、初めは大きな犠牲を払った。けれど米軍に全ての補給路を絶たれ、空爆と艦砲射撃で、美しい緑の島は数日間続いた爆撃で、樹木が一本もない焦土と化してしまった。日本軍は圧倒的な米軍の火力に徐々に追い詰められ、弾薬も食料も水も尽きていった。それであと数10mのところまで包囲された時、中川大佐は玉砕を意味する「サクラ」の電報をパラオ本島の本部に打ち、自決したという。3日の戦いの予想が2ヶ月半も続いた戦闘だった。日本軍一万人はほぼ全滅。驚いたことにパラオ人は一人も死ななかったのです。

 この理由は戦いが始まる前にさかのぼります。ペリリュー島の島人達は、先祖の島を守るために日本と共に戦いたいと何度も申し出ました。しかし中川大佐はそれを許さず、何とこう一喝したのです。 「帝国軍人が貴様ら土人と戦えるか!」

島人たちは、日本人もやはり白人と同じで自分達を見下していたのか、信じていた友情は見せかけのものだったのかと失望したと言います。失意の中、島人たちは用意された軍艦に乗ってパラオ本島に出発しました。ところが、何ということでしょう。軍艦がもう島には戻るのが不可能というところまで離れるのを確認するや、日本兵たちがジャングルから浜辺へ続々と現れ、嘗て一緒に歌った日本の歌を歌い、涙と笑顔でちぎれるように手を振って見送ってくれるではありませんか。その中にはあの中川大佐もいたのです。全滅するほどの激戦になるのが分かっていたので、現地人を疎開させてくれたのです。

 2年後にペリリュー島に戻ってきた島民は、緑の島が岩だらけになり、日本兵の亡骸が無数に散らばっているのを見て涙したという。島民らは遺体を埋葬し戦没者慰霊碑を建ててくれた。中川大佐が自決した洞窟には、今も花が絶えることがなく、戦争中強力な米軍と闘った日本軍に尊敬を捧げ、日本に心から感謝してくれているとか。



 戦後パラオはアメリカが信託統治し、英語による教育、反日教育が行われた。にもかかわらず、50年たってパラオが独立した際の独立記念式典では、パラオの国家の後に斉唱されたのは君が代だった。日本人とパラオ人一人一人がさざれ石一粒一粒で、パラオの独立を夢見てお互い心合わせて発展させていった思いを歌に重ねたのではないでしょうか。

 日本人は物理的にはいなくなりましたたが、日本精神はパラオと言う「巌」の中に生き続けているのですね。しかも日本統治時代を生きたパラオ人が「ペリリュー島の桜を讃える歌」まで作ったとか。 歌詞は、日本兵が如何に勇敢に戦ったか、兵士たちの祖国と家族への想い、さらにパラオに自由と平和の尊さを、命をかけて教えてくれたという内容です。

パラオ人が日本兵の気持ちに寄り添い、受けた恩恵と調和の精神をパラオ人は忘れずにこの歌に込めているのです。私も人の心に寄り添えるようになり、日本人としての誇りと調和の気持ちを心新たに思い立たせてくれる8月でした。

                     K/和子


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