好事魔多しのラスベガス
まだコロナ禍にあると言いながらもハワイ諸島は、ワクチンパスポート持参者にはPCR検査、自主隔離無しとあって島への渡航者が増えているし、ホノルルのあるオアフ島には米本土からの観光客が、日々2万人を超えているとか。夕方のビーチは外国人に占領されたかのように賑やかで、ワイキキのレストランの殆どに行列ができています。
一方ハワイの人々も、帰国までの72時間以内のPCR検査で陰性なら「自主隔離不要」とあって、米本土へ様々な目的で訪れる人がぞろぞろ出始め、私たちもそんな中に加わり5月下旬、3年ぶりのラスベガスに出かけたのです。ハワイアンの飛行機でほぼ満席、夜の22時発とあって機内では毛布が配布されていたけれども「アルコール類は6月から」だとかであきらめ、マスク着用のまま就寝? 予定より早めにラスベガスに到着。機内では皆さんマスクを着用していたのに、降りるや否やマスクを外す人とマスク着用者に分かれたのはちょっと意外でした。
紹介されていたウーバーの彼は何とまだラスベガス在住1週間目。ワクチン接種者はマスク不要とかでその話っぷりに、ワクチンをしていない我々は多少警戒しながら耳を傾けていました。彼曰く、ベガスのタクシー運転手はエチオピア出身者が多く、次が中国系やアフリカン系とかで、滞在中タクシーを活用する毎に、出身地を聞いてみると確かに3人に一人はエチオピアからでした。街の中心を走るストリップ通りより、歩いて15~20分位のいつも利用しているホテルに到着。いつも朝早くからコーヒーと軽食が自由に用意されていたので、今度もそれを期待していたら、コロナの影響からか、くつろぐイスもテーブルもなくがら~んと穴があいてるような広い空間があるだけで、がっかり。
しかもアーリーチェックインをしていたはずなのに、予約が入っていないとかですったもんだの交渉に1時間以上とられ、偶然にも窓口を交代した女性が運よく彼を覚えていて、1階のツインなら即入居できるとあってそうしたものの、コーヒーもなく、私の相棒はすっかり機嫌が悪くなりふて寝してしまった。一休みして気分が落ち着いたのか、行きつけのカジノへ”感の確認”とやらで出かけ、あっという間に1400ドルの負け。幸い近くにセブンイレブンがありそこのコーヒーが美味しいと彼の意にかない、コーヒーに関しては一件落着。
次の日の早朝、再びセブンイレブンにコーヒーを買いに行った彼は、切れるような澄んだ空気の中で体が軽くなり、飛んだり跳ねたりが出来るほど膝の調子が良いとご機嫌で戻ってきました。夜のネオンと観光客の多さは3年前とさほど違いはなかったが、リタイアー組のカップルやグループが多く、さすがにこの時期は若者が少ない感じを受けました。ストリップ通りには至る所にホームレスがたむろし、背広姿が多かったのには驚きでした。
ハワイでは味わえない各ホテルの豪壮さ、壁画、装飾の素晴らしさを3時間ほど満喫。モノレールに乗るために駅に行くと何だか閑散としておかしいなと思っていたら、案の定、切符売り場はシャッターが下り営業停止。1週間の滞在中2度試みたが結局乗れずで、以前は9時頃からスタートしていただけに、残念でした。
意外と苦労したのが軽いランチやディナーの外食でした。以前は急でもそんなに待たず食べられた記憶がありましたが、今回はランチで早くて20分待ち、ディナーなど40分ないしは1時間待ちのところがざらで、食事をするのに、こんなに大変とは想像もしていませんでした。ちょっと大きめや名の知れたレストランの当日予約は全くダメで、2~3日先の予約ならどうにかOK。「カジノでもとは取り返したぞ~」「ゴールド・カードもカジノ側が作ってくれた」と喜び勇んで「有名店の美味で乾杯だ!」と行っても予約無しは全く相手にされず、しかもカジノ内のバーは何十分待ちとか、街中の食事処ですらすんなり入れなかったのには参ってしまいました。結局彼の浮いた気分の鉾収めは、お部屋での飲食になりがちでした。
予約日以外のお部屋での飲食も味気ないとある夜、彼の体調も良く、多少待つのを覚悟で7時過ぎからぶら~り外出し、カジノを渡り歩きながら、メイン通りをさけ横丁やプロムナードのショップや食べ物屋を覗き歩く。凄い混雑で、食べ物屋は何処も人であふれ1時間近い待ちとか。彼は空腹と歩き疲れで不機嫌になり、たまたま<CHAYO>というメキシカン料理なら20~30分で入れるとか言ってたものの、結局は散々待たされてやっと入った時間が夜の10時過ぎ。ところが、自分たちだけがわざと粗末なイスに案内されたと思うほど周りの椅子は立派、今さら文句も言う気にもなれず、フロアのスタッフも少なく、ただただ待つのみ。バーカウンターの近くの古びた席だったので、あまりにも待たされるので、我慢しきれず彼がバーカウンターにアルコールの交渉をしに。幸いカウンター内の彼女が程なくビールを。ついでにイスの話をしたら、座り心地の良いのを運んできてくれたので、少しは腹の虫が収まる。メニューも内容が分からず、その彼女に選んでもらったのをオーダー、やや待って運ばれてきたアボガド入りタコス、エスニック料理が苦手な彼も空腹には勝てず、恐る恐る口に入れた途端、「うまい!」 運んできた彼女も「グッド!」と両手で満足の合図、我々も入った時の不愉快さはどこかに吹き飛んでしまったほど満たされ、ほろ酔い気分でホテルへ。彼の「明日もタコスを食べに行こう」には参りましたっけ。
来たかいがあったと上機嫌の彼と1週間のラスベガスを後にし、スムーズにホノルルへ。彼は、荷物を受け取るやビールかアイスクリームを口直しにと意気揚々歩いてると、途中で空港のスタッフが何やら合図をしている。ピンクのリストバンドをした人々は速やかに手をかざして左側を通過、してない人は右側に誘導され我々もその仲間に。アイホンに収めたハワイアン指定のPCR検査表の陰性証明を見せてもOKが取れず、挙句係員によってCovit-19用のメール・アドレスを作らされ、それを持ってキューコードでの再確認。その作業に2時間以上かかり、ドメスティック・ハワイアン、ホノルル着の最終人数の最後になってしまいました。ビールで乾杯の夢は何処へやら、共に英会話が理解できない辛さを痛切に味わされたのでした。良き相棒さんは英語が理解できないジレンマと心理的に参ってしまったのか、しばらく体調を崩していましたが「良い事の後には必ず試練あり」でいい教訓となった締めくくりでした。 (K/Kazuko)
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