木曜午餐会のメンバーの皆さまと支援して下さっている方々へ
みなさん、お元気ですか? 本音を言えばこのお手紙も今回で最後にできればいいな、と思っていました。8月中に木曜午餐会を再開できるかどうか “家主さん“のマキキ聖城キリスト教会に問いあわせました。「まだ教会外部団体の方々にはハワイ州政府の人数制限等の規制が無くなるまでお貸しできないことになっております。どうぞ、ご理解のほどお願い申し上げます」というお返事でした。再び感染者が急増しているこの頃です。当分無理そうです。来月もお手紙します。再開できる見通しがつきましたら、電話でのメッセージ、KZOO放送、ハワイ報知新聞、雑誌ライトハウスなどを通じてお知らせいたします。
ハワイ州の新規感染者が急増
ハワイ州保健局によると7月24日に、州内で確認されたコロナの新規感染者数は276名で、今年1月5日以来、もっとも1日あたりの新規感染者数が多くなったとしています。グリーン州副知事は、7月に入って確認されている新規感染者のうち、約78%がコミュニティ内での市中感染で、約20%が州外からハワイへ戻ってきた居住者、また約2%が州外からの訪問者であるとしています。
ハワイ州内で確認されている感染者の中で、18歳未満の子供の感染率が上昇していることがわかりました。州保健局のブルックス・ベーア報道官は「予防接種を受けていない成人が、予防接種を受けられる資格のない子供を感染させていることがわかりました」と述べています。またより感染力が強く、より深刻な病気を引き起こすとされているデルタ株変異種の拡大が、子供たちへの感染拡大にも大きな影響を与えています。クィーンズ・ヘルス・システムのジュリア・ファーム博士は、デルタ株は非常に伝染性が高く、家族全体に瞬く間に広がる可能性があると述べています。州保健局は、新規感染者の大半がワクチン未接種者であることを発表しました。ワクチン接種済みでの感染者は約3%でした。現在の新規感染者の増加は、ワクチン未接種者のパンデミックであるとしています。
グリーン州副知事は、ハワイ州内でのワクチンの接種率は約60%となっているものの、州内には数十万人の、未接種者がいるため、しばらくは新規感染者が続くだろうとして、ワクチン未接種者に対しては、マスクを着用するべきだとコメントしました。加えて副知事はワクチンの接種に関しては個人的な見解があるが、ワクチンを接種することは自分だけでなく、家族や、ワクチンを接種できない子供や、宗教上の理由がある人を守ることにもつながるとしています。ハワイ・ヘルスケア協会のヒルトン・レーセルさんは、すべての新しい症例の40%が、伝染性の高いデルタ株変異種であることを確認しています。またレーセル氏は「デルタ株変異種は、元のウィルスより225%も感染性が高いと推定されています。しかしながらワクチンを接種することで感染後の重篤化を防ぐことが出来ます」と話しています。ワクチン接種が現在のペースで進んだとしても、すべての規制が緩和されるのは10月以降になる見込みになりそうです。
7月26日の時点でハワイ州の人口の59.8%以上が、現在2回のワクチンの接種を受けています。また66.2%以上が少なくとも1回のワクチンを接種しています。先月のお手紙では「57%以上が2回のワクチン、69%以上が少なくともの1回のワクチンを接種している」と報告しました。この1か月間、航空チケットやレストランの食事券など色んなワクチン接種奨励策を出し続けたにもかかわらず、ワクチン接種が進んでいる様子は一向にうかがえません。個人的にはイゲ州知事の目標とする70%に到達するのは無理ではないかと感じる様になりました。
アメリカの公衆衛生当局の調査によると、全米各地で感染者数が急上昇する中でもワクチンを接種していないほとんどのアメリカ人は、デルタ変異種に対してもワクチンの効果には懐疑的で、これからもワクチンを接種する可能性は低いことがわかりました。接種は強制ではありませんが、連邦政府の退役軍人庁では医療関係者に接種を義務付けようにしたほか、ニューヨークやカリフォルニアでも市職員、警官など公務員に対して接種を義務付ける動きが出始めています。
レストランは規制を緩めず
オアフ島では「Tier 5」の一環として規制緩和が導入されているにもかかわらず、ほとんどのレストランやバーでは、この緩和策を導入していないことがわかりました。何故でしょうか? 規制緩和案では、陰性証明書の提示か、ワクチンの接種を証明出来る来店者のみを受け入れる場合には、レストランは社会的距離の保持などの対策の必要がありません。ハワイレストラン協会のシェリル・マツオカさんは「規制緩和を発表した当初は、小規模店などが規制緩和案を取り入れるのではないかと期待していましたが、証明書などの提示を来店者に求めると、提示を拒んだりするケースがあり、多くの店舗が規制緩和を望んでいないようです」とコメントしました。飲食店経営者からは、証明書の提示などを求めた時に、従業員が来店者からクレームを受けたりするなどの、問題点が多く、規制案は導入しないことを決定したとしています。
先月に続きまして4回目の漢字のテストです。
「非ず」の正しい読み方は?:そうではない。違う。打ち消す意で応答するときに使います。
「中る」:「テストの山が中る」とか「彼の評判はよく中っている」。もっとわかりやすい例では野球で、打者がよくヒットを打つ場合などにも使います。
「専ら」:ある一つの事に集中するさま。「大事な試合を前に専ら練習に励む」「自宅にいるときは専ら子供の世話をする」などと使います。
「雪ぐ」:水で汚れを洗い落とすことを言いますが、恥や汚名を新たな名誉を得ることによって消す場合にもよく使います。
「庇う」:?他から害を受けないように、助け守る。いたわり守る。大事にしまっておく。「傷を庇いながら戦う」などと言います
「勢む」:読めそうで読めない漢字ですね。気前よく金品を余計に出したり奮発する時に使います。例えば「レストランのサービスが良かったのでチップを勢む」とか。
「誌す」:簡単なのを用意しました。文字や文章などを書きつける。書きとめる。記録する。忘れないようによく覚えておく。「思い出の写真に言葉を添えて誌す」。
「小火」:大きくならないうちに消し止めた火事。小さな火事。「今朝ほど近所で小火騒ぎがあったのよ。誰も気がつかなかったけれど」
「氷柱」:水のしずくが凍って、軒下や山の岩などに棒状に垂れ下がったもの。
比較的易しかったと思います。では最後にこれはどうでしょう?
「海豚」は何と読みますか? (https://laurier.excite.co.jp/を参考にしました)
正解はこの手紙の最後に記してあります。
ハワイ選出の国会上院議員 メイジー・広野さんのお母さんの話
メイジ―・広野は日本生まれで8歳の時に福島県から母親と共に移民としてハワイに来て、貧しい生活の中でハワイ大学を出て、ハワイ州の副知事、そして国会の下院、上院議員にまでなった今年73歳の女性です。でも今回は彼女についてお話しするのではありません。
私がまだハワイ報知新聞社で働いていた時に「メイジーのお母さんはここで働いていたんですよ」と故・ポール円福社長から教えられてびっくりした記憶があります。「へえー」と驚くと同時に、自分の母親とほぼ同じ年齢であるそのお母さんにとても親しみを感じました。ところが「昔の人」だし実際にお会いしたこともなく、「あの時代にどうしてハワイに移民として来たのかな」という漠然とした疑問を持ち続けていました。木曜午餐会の会長さんだった山谷敏夫さんが偶然にも近所に住んでいた関係から彼女自身の口から直接多くの話を聞いて彼の発行している「瓦版」に紹介してくれました。山谷さんの了解を得て、メイジーさんのお母さんのエピソードを「瓦版」から抜粋して若干紹介したいと思います。出会い:1990年頃のことです。週日は娘の家に立ち寄って4匹の犬を散歩に出すのが私(山谷敏夫)の日課であり、また楽しみでした。犬は道草ばっかりするので、やむなく目は家々の構えやお庭をゆっくり見るようになりました。この辺りは50年くらい前に開発された住宅街で、木造ですから手直しの時期になり改装・改築や増築の様子、金属サッシやふき替えた屋根材など見ているときりがありません。一軒の家で、よく草むしりなど庭仕事をしている、上品な東洋系の老夫人と顔見知りになり、日本語で挨拶するようになりました。ある日、ガレージドアが開いており、中に Mazie Hirono のバンパー・ステッカーが貼られていた日本車と、奥の棚には片目の達磨が2個置かれていました。老夫人は選挙の度に名前を聞くメイジー・広野のお母さんだと分かりました。
ワイパフで出生:メイジーのお母さん、千枝子さんは1924年(大正13年)、父親・広州(ひろし)と母親・太利(たり)の長女としてワイパフのプランテーション(砂糖耕地)で生まれワイパフには4歳まで住んでいました。父親は1897年(明治30年)福島県で生まれ、16歳の時、先にハワイの耕地で働いていた兄を頼って来布。その後4歳年下の太利を郷里の福島から呼び寄せて結婚(右下の写真:ピクチャーブライドとして1923年に来布)。太利の母(千枝子さんの祖母)は裁縫の師匠をしていたので、太利も裁縫の素養があり、ワイパフ
のお店の依頼で着物を縫っていました。太利の父(祖父)は福島県中野村(現在は温泉のある飯坂町)選出の郡会議員で福島まで人力車で通い、後に村長になりました。末娘の太利は大事に育てられたと祖母から 聞かされていました。太利は高等科から花嫁学校に進み、親類からの縁談も多く、そんな悶着から逃れてハワイに。太利の娘、千枝子も大事に育てられましたが、希望の無い結婚から逃れて、太利同様 ハワイに・・似通った縁なのか、遠い日を思い浮かべながら千枝子の話が続きました。
父(広州)が自営業:1913(大正2年)、ハワイに来た16歳の時から15年間、砂糖耕地で働きつづけた父は2人(千枝子と弟の明)の子供の教育を考え、町での仕事を考え1928年(昭和3年)ホノルルに移り住むことになりました。ベレタニア街に面し、スミスとマウナケアの間にあった「梅の湯」という風呂屋を買って経営を始めました。当時風呂のある家庭は少なくそこそこ繁盛しました。男女別で浴槽のある方は安く東洋系の人達が中心。他に料金の高いシャワー、バスタブ、石鹸、タオル付きの個室もありました。番台があり、夕方までは母が、帰宅後は父が代わりました。両親は閉店後も掃除ほかでいつも遅く帰って来ました。当時、既に燃料は重油で、歩道近くの油受けバルブから、奥のタンクに補充されるようになっていました。昼間の父はパラマにあった桑原靴店で夕方まで働き、古タイアを靴底にした作業靴を作っていました。千枝子はカウルウエラ小学校で勉強した後、フォスター・ガーデンの山側(現在のH-1フリーウエ イ)にあった「ハワイ中央学園」で日本語の勉強を。セントラル中間学校時代はヌウアヌ霊園海側にあった「上の学校」でまた日本語を勉強しました。そこでは故田坂養民先生(移民史研究家)、クラスメートにジュン新川、 関屋恵美子(実家はカイムキにある関屋レストラン)、マーガレット井上(旧姓粟国、ダニエル・井上の最初の妻)などが一緒でした。
日本へ:1939年(昭和14年)に太利、千枝子、弟あきらの3人が浅間丸に乗って日本に。千枝子が15歳の時でした。日本行きは2年後に迫った日米開戦とは関係なく、太利が長年悩
んだ頭痛と、郷里が恋しくなったからでした。父ひろしは13年続いた風呂屋のビジネ スを売却その他の整理を済ませ、2年後に最後の帰国船で帰って来ました。福島県の北寄り、宮城県との県境に 近い伊達郡桑折(こおり)町での生活が 始まったのは、ひろし45歳、太利41歳の時で、農地を持っていたので稲作や畑を始めました。太利は福島での生活が始まり、時々歩いても行ける飯坂温泉での湯治がことのほか良薬で、忘れたように頭痛はおさまりました。
こんな農村にも戦争の波は押し寄せ、近くのお寺には集団で学童疎開してきた児童が滞在していました。叔母の家は通学路に面していたので、学校帰りの子供達を呼び止めて、ふかしたさつま芋などのおやつを食べさせていました。何十年も後に成人した子供達がよっぽど嬉しかったのでしょう 「おいしかったさつま芋」のお礼に訪ねてきたとか。千枝子は20分ばかり汽車に乗って福島市内の「家政女学校」へ。在学中のニックネームは「舶来/ハクライ」でした。また「千枝子と千枝」と言って仲良しであった福島の千枝とはハワイに来てからも長いお付き合いを続けました。弟のあきらは同じく市内にある「農林学校」へ通いました。
結婚:千枝子は生涯一度結婚しています。相手は広野獣医。麻布獣医専門学校を卒業後、郷里に帰り福島県庁に努めるエリートでした。1946年(昭和21年)長男の芳和、そして翌年に慶子(メイジ―広野)、4年遅れて茂樹が生まれました。長男が生まれた時、嫁ぎ先では母親の千枝子には無断で「又左衛門」と名付けて届けを出したことを知り、あまりのショックで母乳が止まり、続く子供(慶子=メイジー)にも母乳は出なかったとか。後日、福島市内にある法務局に出向いて改名手続きをした時、係員もあきれ果てて快く「芳和」と変更してくれたそうです。
獣医の主人の勤務先の都合で会津若松、田島ほか県内の何か所かで暮らしたことがありますが、そのうち只見村で過ごした一冬は最もきびしいものでした。半年は雪に埋もれるという豪雪地帯で5月でもまだ5フィートも積もっているという陸の孤島でした。片方の山は今にも雪崩が起きそうな残雪、片方は雪解け水がゴーゴーと岩を咬む只見川の激流、その間の細い道でしたがわらじ履きで芳和をオンブして、主人の県庁出張に伴い福島の実家に帰ったことなどなど・・・辛い思い出は限りないとのことでした。
離別:弟のあきら(右下の写真右後ろ)は戦後すぐハワイに帰り、日本にいる千枝子の子供たちに服や靴など、当時日本では手に入らない貴重な品々を送ってくれました。長男・芳和の小学校1年入学を祝って送ってくれたお金を夫が「制服を頼んでくる」と持って出かけ、そっくり麻雀の負けにつぎ込みましたが、こんなことは一度や二度ではありませんでした。ある時、まだ幼い芳和と慶子が「ポン」とか「チー」とか「上がり」と言いながら小石で遊んでいるのを見た千枝子は「子供を連れてハワイへ行こう」と決心しました。夫に「麻雀は止められませんか」と聞いても答えは「ノー」。婚家先へ人を介して離婚の打診をすると「芳和と慶子は置いて行け」と。
あきらは1950~1953年の朝鮮戦争に従軍し凛々しいGI姿で福島に立ち寄った時、「姉さん早くハワイに来いよ!」と最後に千枝子の背中を押しました。千枝子は日本国籍でした。日本国籍の子供も含めて米国入国ビザを取得するのは難儀なことだったと思います。多分、米国軍人の弟・あきらが呼び寄せ手続きを取ったと推察されます。ハワイから取り寄せる書類や日本関係の書類の翻訳など、千枝子は気の遠くなるような努力と心労を重ねたことでしょう。最寄りの桑折駅から夜行列車に乗り、早朝上野駅に着き、虎ノ門のアメリカ大使館まで何度も足を運んだのもついこの間のように覚えているそうです。
(次回に続きます)
J-Centerのオフィスが7月15日アラモアナ・ビルディングにオープン
ハワイに住む日本人を支援するJapanese Community Support Center of Hawaii (通称J-Centerイング・清子会長)が7月15日にアラモアナ・ビルディングの中に常駐のオフィスをオープンしました。
J-Centerは、いつでも皆様が気楽に立ち寄れる、集まれる憩いの場所を提供することを目標にして来ました。しかし現実はなかなか思う様にいかず、設立当初利用していたカカアコ地区のIMPACT HUB には制限があり事務所や集まりに適さない点が数々判明し、昨年3月コロナ禍が始まったことを機に契約を解約しました。その後、月に一度の ZOOM理事会で、今後の J―センターの場所として無料もしくは格安でお部屋を貸してくれるお寺、教会、レンタル・ルーム、クラブ・ハウスなどを検討しましたが立地条件、交通の便、パーキングなどから条件に合う場所が見つかりませんでした。そんな時、私たちが直面していた問題を耳にしたある会員の方から『J―センターの活動には日頃から感銘していました。活動を続けるために私も協力させてください』との夢のような有難い申し出があり、事務所を借りるための資金を援助して頂けることになりました。この申し出から J―センターをいつも見守ってくださっている会員一人一人の存在の大きさとその原動力が今後の活動に繋がることを確信すると共に、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。本当に有り難うございます。この度、すべての条件が叶うことから、皆様ご存知のアラモアナ・ショッピング・センター内のアラモアナ・ビル(一階がバンク・オブ・ハワイのビル)の9階906号室を借りることになりました。たった350sq.ft.の小さな事務所なので集うことは無理ですが、情報と相談の窓口にはちょうど良い大きさだと思います。より多くの会員の方達に新事務所を訪れて頂き、悩みや相談、問題解決の手助けを行っていきます。幸いにも同じビルの4階に40人まで収容できる会議室があり、そこを J―ミィーティングに利用できればと思っておりますが、詳細は折を見てお伝えいたし ます。これからも引き続き J―センターの応援を宜しくお願い致します。完全予約制でオフィスの業務時間は午前10時から午後4時まで。電話番号は(808)888-0720です。(会長・イング清子)固定資産税の請求書が届いたと思います。持ち家で2020年の年収が6万ドル以下の方は、しっかりとクレジットをされていましたか? 私は約800ドルの節税になりました。申請の方法が分からない方はJ-Centerに電話するか、新名まで連絡をくれるとヘルプしてくれます。
「えー?嘘―!知らなかった!」というお話を。
「インド人はヒンドゥー教を信じているから、牛肉を食べない」。よく耳にする話です。インドにはもちろんハワイのインドレストランに行っても「ビーフ・カレー」なるものはありません。ところが実は「インド人は牛肉をよく食べるし、そして牛肉輸出量は世界一」なのです。そのからくりは、インド全体を俯瞰すると見えてきます。ヒンズー教の神様でもありますシヴァ(破壊神)はナンディンと呼ばれる乳白色の牡牛(おうし)を乗り物にしています。そのため牛は聖なる動物であるとして、食すことは禁忌となっているのです。
ところが、ここで注目すべきはイスラム教徒です。インドの人口は中国の14億人に次いで世界第2位の人口大国で13憶6千万人です。そして80%がヒンズー教徒で、イスラム教徒は国民の13.4%。約1億8千万人近くのイスラム教徒が存在する計算になります。国内に抱えるイスラム教徒の数では、世界最大のインドネシアに次いで多いのです。イスラム教徒は「豚肉を食べてはいけない」という宗教上の禁忌はありますが、牛肉は禁じられていません。キリスト教徒も牛肉は食べますから、トータルするとインドには2億人もの牛肉を食べられる人たちがいるのです。2億人といえば、日本の人口1億2千万よりもはるかに大きくブラジルの人口とほぼ同じです。それを考えるとインドの牛肉市場は、かなり大きいのではないでしょうか? もちろん、ヒンドゥー教徒にとって牛は神聖な動物。食べないどころか、屠殺も御法度です。牛肉の生産にはイスラム教徒が携わっています。
インドの牛の飼育頭数はブラジルに次いで多く牛乳の生産量はアメリカ合衆国に次いで世界2位、そしてバターの生産量は世界最大を誇ります。インドで生産された牛肉は国内でも消費されますが、多くを輸出に回します。特に近年急増していて、2012年には水牛も含めると、なんと牛肉の輸出量は世界最大となりました。年間の輸出量は168万トン、ブラジル(139万トン)、オーストラリア(138万トン)を大きく上回る数値です。皆さんが持つ「インド人は牛肉を食べない!」というイメージは、一面的なものだったということです。「あーそうでしたか」で終わりです。
最後に私の心配事を少し書いてみます。新型コロナに対する日本のワクチンの確保が世界的に出遅れたことです。安倍・菅政権の見通しの甘さと厚生官僚の不勉強。これに尽きます。でも今はそれを心配しているのではありません。米本土の異常な暑さと森林火災。日本、中国での大雨による大災害。異常気象が続いています。その先に来るのは食糧の奪い合いです。大豆や小麦、トウモロコシなどの基本的な食料の奪い合いが始まるとすれば有利なのは所得の多い先進国です。日本も以前は1人当たりGDPの上位国だったのですが、今は世界で23位あたり。比較的ぱっとしない先進国のポジションにいます。上位を眺めると、アメリカやオーストラリア、北欧諸国など豊かな国々の1人当たりGDPは日本の1.5倍程度、香港が日本の1.2倍ぐらいの位置にいます。日本の食料自給率は38%。6割は輸入に頼っています。ワクチン不足と同じで、自給率がそれほど高くない日本の場合、世界的な食料不足の年には食料安保の問題が必ず発生するというのが心配の種です。
漢字の読み方の正解です。「非ず」は「あらず」、「中る」は「あたる」、「専ら」は「もっぱら」、「雪ぐ」は「そそぐ」。「庇う」は「かばう」、「勢む」は「はずむ」。「誌す」は「しるす」、「小火」は「ぼや」で「氷柱」が「つらら」でした。最後の「海馬」は「イルカ」でした。皆さんいかがでしたか?ではまた来月に。
木曜午餐会会長 新名 瑛
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