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 【間について】

 ハワイにいる頃はテレビを観ることもなかったが、ラスベガスに借りた住まいにたまたまテレビが置いてあったので、しばらく前からYouTubeで日本の番組を時々観るようになった。  どういう訳かほとんどが「SAMURAI&NINJA」のタイトルで、侍番組や昔のドラマ、サスペンスものである。ただしドラマ途中には、地元ローカルのコマーシャルが2回とか3回必ず流れる。

 最初は時間つぶしでただ観ているだけだった。その内、時代物の番組に奇妙な親近感と懐かしさやほっと気持ちが緩んだり、いつの間にか共感している自分を発見した。往年のスターである中村錦之助や大川橋蔵、中村吉右衛門、松平健等々映画俳優の若き姿にだろうかと問うてみたり、あるいは外国に住んでいるせいだろうかとか思ったりしていた。もちろんそれも多少はあっただろうが、どうもしっくりせず「日本人のせい?」とも考えたりしていた。

 ある時、はたと思い当たった。時代物の背景に流れる音曲の途切れや演技で声のしない沈黙の瞬間、何もない時間があるのだ。時代物には、つまり演技やバックに流れる「間」が結構あるのだ。

 西洋の音楽は嫌いではないからたまに聴いている。が、バッハにしてもモーツアルトにしてもクラシック音楽は様々な音によって埋め尽くされている。例えば、モーツアルトの「交響曲二十五番」など息を継ぐ暇もなく、息苦しさを感じる事すらある。それにひきかえ、日本古来の音曲は琴であり三味線であれ音の「絶え間」というものがいたるところにあって長閑なものを感じる。このように日本的な楽器には、「間がある」「間を置く」時間的なものがあるのだ。そのように感じことは無いだろうか?

 もう一つ。日本の独自性が感じられたものがあったのです。

時代物に出て来る武家屋敷です。これにも心を揺さぶられる要因があるかも、と思っています。本来、日本の家の中には「壁」というものがなかった。西洋の家は西部劇の時代から部屋を壁で仕切り、個室で組み立てられた家に住んできた。ところが日本の家は、区切りには障子や襖で戸を立てる。「源氏物語絵巻」などの王朝時代や宮廷の貴族たちの屋敷を見ると、襖や几帳など様々な間仕切りの建具で仕切られていても、至る所すき間だらけである。しかも、季節のめぐりとともに入れたり外したりできる。

 これも日本の気候風土が生み出した日本人の智慧ともいえる気がする。又大勢の客を迎えても大広間にすることもできる。昔から日本人は自分たちの家の中の空間を自由自在に繋いだり切ったりして暮らしてきた。つまり、「すき間」「間取り」の空間的な間があった。

 調子に乗って更に言わせて頂ければ、人や物ごとの間に取る心理的な「間」というものもある。日本人は、誰でも自分以外の人との間に、たとえ相手が夫婦や家族・友人であってもさまざまな心理的な距離、「間」をとって暮らしている。この様な「間」があって、初めて日々の暮らしが円滑に出来ているのかもしれない。


 挨拶の仕方も外国人は握手をしたりお互いに抱き合ったりキスをしあう。日本人は少し離れたり、遠くからお辞儀をして適宜な間を置くが、外国人のように親愛の情を示すスキンシップは殆どしない。

 こうして簡単に羅列するだけでも日本独特の「間」は大昔からたゆみなく日本という島国に存在し、日本人はあらゆる分野で歴史的・文化的・生活の中で、上手に「間」を使いこなしてきたのではないだろうか。それを上手に使えば「間に合う」「間がいい」になり、使い方を誤れば「間違い」、「間」に縮まりがなければ「間延び」、間がよめなければ「間抜け」となる。こうなると日本の文化は、大袈裟かもしれないが「間の文化」ということもできる。

 もし日本文化独自のものをと問われたら、間もその一つだろうと思う。忘れてならないのは、この「間」は現在もあらゆる面で、たゆみなく働きかけている気がするのである。ひょんなことからの着想だが、日本文化の一つとして、無意識に息づいている「間」という存在を、日本人としての皆様はどのように感じ、捉えるでしょうか?

                                 K/和子


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