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 骨貯金~2024年の抱負

 辰年の1年が日本では思いがけない天災と人為事故で幕を開けました。被災された方々や亡くなった方々に、言葉の申しようも無いほど心が痛み入ります。その悲惨な状況の中で、数日経っての生存者の明るいニュースにともしびが灯った気がします。

しかも、殆ど80~90歳代の高齢者の方々ばかり。勿論、運が良かったとも言えますが、それだけでは留まらない強靭な生命力があったのも大きな要因かもしれないと推測しました。海と山を背にした、決して甘くない生活環境の中で、太陽の下で農業や家事をこなし、海の物や山の物の骨の生育に欠かせない食生活を自然に食していたからこその生命力だったのではないかと思いました。

能登地震のニュースに一喜一憂しながら、私はこの1年を健康貯金(特に骨の貯金)をしようと心に決めました。もし「今さら80歳過ぎにもなって」とか、「歩いたりジムに通ったりして運動はしているし、骨密度の検査もしているし、まだまだ大丈夫」と過信している方がいらしたら、ちょっと耳を貸して下さい。

 日本人が特に寝たきりになる原因の第3番目が、骨粗鬆症による骨折からだそうです(脳卒中、老衰に次ぐ)。健康ブームで健康に関心ある方々は、定期的に骨粗鬆症の検査を受けていらっしゃると思います。それでも実は、数ヶ月ぶりに80歳代の友達に電話したら、2階の階段からもろに仰向けになって落ちて3カ月の入院。「猫の寝床の上に落ちたから背中のショックが軽かったものの骨盤を打って杖なしでは歩けなくなってしまったのよ。骨粗鬆症の検査をしていても骨がもろくなっていたんですって」と聞かされたのです。


それだけでなく、歩いている途中つまずいて転んだら足首と手首を骨折したとか、室内でスリッパで躓いて骨折とか、いろいろな話を聞かされていますが、皆さんいずれも骨粗鬆の検査をなさっていました。これだけ予防(?)をしてる筈なのに一体どうしてなのでしょう。

 骨は固いので一度作られると変化しないように思いますが、体の細胞と同じで、古い骨を壊し、新しい骨を作る新陳代謝(骨代謝)を繰り返しています。しかし、カルシウムの接種が不足してくると、骨を作る量よりも壊す量の方が多くなり骨がスカスカになってしまいます。さらに、骨はカルシウムの巨大な貯蔵庫でありカルシウムの不足が続くと、貯金を切り崩すようにカルシウム量が減っていくのだそうです。しかもカルシウムは体に吸収されにくい栄養素であるため、吸収を助けるビタミンDを一緒にとり、規則正しい食事、運動、日光浴などでカルシウムの吸収を良くしていくらしいです。

 骨粗鬆症というと、一般に、更年期を迎えて閉経した高齢者の女性に多い病気という印象が強いですが、若い人でも起きる事があり、男女を問わず、幼少期からの予防が何より大事と言われています。なぜなら、骨量は20歳くらいまで増加し、成人期にピークを迎え、中高年期は次第に減っていくからです。ですから、若い時期に骨量を最大に高くしておけば、骨の蓄えに余裕ができ、更年期になっての骨のダメージが少なくて済む図式になっているようです。

 カルシウムは骨や歯の健康を維持するだけでなく、筋肉の収縮や血液の凝固など体内に多くの生理的なプロセスにも関与して、心を支える脳や神経、ホルモンなど食事によって作られ機能しているらしいです。健康に関する専門誌や、専門家が骨粗鬆症ならないためのアドバイスや具体的な食べ物など述べているので省略しますが、大事なことはカルシウムが年齢に関係なく不可欠な栄養素であるということと、カルシウム不足になると情操面でも影響が出てくることです。

 


短気で怒りっぽくなり、忍耐力が無くなってき、すぐ切れやすくなってくるようです。精神的な動揺が激しく感情の起伏が大きくなり、心の荒れが進むのも、カルシウム不足が関与していると言われています。転んだだけで骨折をする、視力が落ちる、姿勢が悪くなるなど、これらの体のおかしさは、食生活の影響なしには語れません。これらは高齢者のみでなく子供達にもみられるらしいのですが、枚数にいとまが無くなるので避けました。

 さあ~、皆さん!高齢だから、加齢だからと諦めないで、規則正しい食事や運動、日光浴を多く浴びてどんどん(骨の貯金)をしていきましょう。


K/和子



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 【イスラエル 平和を願いつつ】

 私はクリスチャンではありませんが、青春時代の本好きが好じて一時、聖書をかじった事があります。どちらかと言うと新約聖書よりは、旧約聖書の中の特に「創世記」に特に関心を持ちました。神話の世界だと思っています。

 子供の頃は絵本にも憧れ、好奇心の塊で女の子であったにも拘らず「ターザン」に魅せられアフリカに行きたいという単純な動機から、青春時代の殆どを「郷に入れば郷に従え」スタイルで東アフリカ一帯を放浪していました。その間にはイスラエルに行く機会は何回かありながら、何故かチャンスを逃していました。

 今年の10月7日、イスラエルがハマスによるテロ行為で人命を含む大きな被害を受け、戦火も長引きそうで、イスラエル行は当分実施できなくなってしまいました。どうしてイスラエルだけでなく世界は争いごとが絶えないのでしょうか?


 私流の旧約聖書からの解釈では、アラブ人とユダヤ人の確執は紀元前1900年ころまでさかのぼるらしいのです。アラブ人とユダヤ人の共通の先祖のアブラハムは、正妻サラの子供イサクの子孫がユダヤ人。一方、召使の間に生まれた子供イシュマエルの子孫がアラブ人。神の予言によって、以来アラブ人はユダヤ人と争う宿命になってしまったようです。

 ユダヤ人が現在のパレスチナを追われ1900年間流浪の民となり、1948年にもと住んでいた土地で再度建国をするまで、ユダヤ人に敵対していたのはアラブ人だけではなく、ご存知の通りヨーロッパでもユダヤ人は多くの迫害の歴史があります。ユダヤ人は世界に模範となる民として神に選ばれた民であるにもかかわらず、未だに苦難困難の歴史が続いています。

 しかもです。ここも私の独断ですが、イスラエルはいろいろな意味で日本と対極にある国だと言っても過言ではありません。聖書の「神」と、日本人が感じる「神」とは現れ方が違うのかもしれません。大元は同じでも、歴史、文化、環境が違えば現れ方は違って当然、これを理解しないと聖書は読めないような気もします。ところが、素人の浅知恵でも読めば読むほどヤマト人とユダヤ人、違いよりも共通点があまりに多い事に気づかされました。

 例を挙げてみましょう。御柱祭(おんばしら)で名高い信州の諏訪大社では、古来「御頭祭」(おんとうさい)が行われてきました。15歳未満の少年が神の使いとしての役割が与えられ、柱に縛り付けられて、何と生贄にされます。あわやっ!という時に神官が現れ、少年は解き放されるというのです。今ではその風習も柱だけが残っているらしいのですが。

 旧約の神話では、神はやっと授かった息子のイサクを生贄として差し出すように命じます。神の命に従い、アブラハムはイサクとモリヤの山に向かうのです。愛すべき息子を手にかけなければならないアブラハムの心境は如何ほどだったでしょうか。このモリヤも、諏訪大社のご神体の山も「守屋」と言います。

 アブラハムの信仰心がユダヤ人と神との約束につながってゆき、信仰の始祖となっていったことが聖書に記されています。そして2千年後にアブラハムの係累から生まれた、イエスによってわずか3年間、地上で神の国を説いた人の子イエス。彼の誕生から、西暦という新たなる時が刻まれるようになったのです。

 他にも、伊勢神宮に向かう道路の両側に並んでいる灯篭にユダヤのシンボルダビデの星。「手水舎」もエルサレムの神殿に入る前に、手と口を洗うユダヤ教の儀式と同じ。エルサレムの城壁の一つにあるヘロデ門の上にある天皇家と同じ菊のご紋。さらに伊勢神宮のある地名「イゼ」がヘブライ語の「神の救い」の可能性もあるらしいのです。これらだけに留まらず、ヤマトとユダヤの間には想像を絶するつながりがあったようです。

 話はそれるようですが、人の思考には、それぞれ異なるバイアスがかかっており、往々にして対立する見解を持つのが本質のようです。そのため、子供の教育環境の中に根付いているレーティングという概念がバイアスをかける要因の一つにもなっているのではないかと言われているようです。レーティングとは、ずばり10段階の学校の教育評価値の事。例えば授業態度、環境、寄付金の集まり具合。両親の性格や収入、健康状態等々。その大事な評価値を決めるのが学校らしく、だから親は良いところに通わせようと必死とか。つまり学校は、同一の性質をもつ集団・仲間の事をコーホート(cohort)というのと同じらしいです。評価値の高い学校を選んだ方が、レベルが高い人間であると前提した上で自分達が思っている彼らと所属意識を芽生えさせて、よいコーホートを持つ事が重要だと考えているらしいです。その根っこには「人は流されやすいから、勉強や素行が良い人達の囲まれている必要がある」と考えているようです。

 ここからが私の結論ですが、選民思想はそうやって作られてき、二極化はさらに進み、自分たちを守る行為として銃社会では切ることが出来ない大事な概念のようです。争いと戦争の歴史の中で芽生えた概念かも知れない、と考えさせられました。イギリスがコーホートの研究では進んでいるようで「ゆりかごから墓場までの」追跡調査を今でもしていることが、HPや資料に載っています。関心のある方はご覧下さい。

 今後どのようにして平和がイスラエルに訪れるか分かりません。しかし、何の罪もない人達が犠牲になるのには耐えられません。どの国も、話し合いで紛争を終結させることに全力を注いで欲しいものです。私の尊敬するマザーテレサは「愛」の反対は「無関心」と応えたその言葉にぐさりときました。私も含めた多くの人は、戦争のニュースに関心は持っているものの、実際どう対処して良いか分からず、結局は傍観者となってしまっているのが現状ではないでしょうか。

 もどかしい気持ちがありますが、だからこそ、せめて(今の戦争に直接関係ないかも知れませんが)「ちょっぴり思いやり」の心で他人をもっと思いやれたら、と切望しています。


K/和子


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  「戦禍は消えぬ」

 ロシアがウクライナに侵攻したのは2022年2月下旬なので、年が明けたらその侵攻は2年にも及ぶ。長引くほどに世界の関心度が下がってきた感があったところ、2023年10月初旬にイスラム組織・ハマスのイスラエルへの奇襲攻撃によって軍事衝突が始まった。この軍事衝突、あれよあれよという間に、ジェノサイド《特定の集団(国民・民族・人種・宗教など)の全部または一部を破壊すること》化してきた。イスラエルに肩入れしていたアメリカも、今では声を潜めている。

 ICRC(赤十字国際員会)によると、世界に存在する武力紛争の数は、2022年12月現在で100を超えているそうだ。とにかくきな臭い地球であることは確か。

 1932年、国際連盟が、理論物理学者であるアインシュタインに「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」 という依頼を出したら、 彼が選んだ相手は、心理学者で精神科医であるフロイトだった。そして内容は、「人はなぜ戦争をするのか」であった。それは、翻訳された書籍となったので、未読の人にはネタバレとならないよう、かいつまむと、「タナトスとエロスという対になった人間の欲動からなるのではないか」とフロイトは書簡にまとめている。

 心理学を解説するには筆者は無力であるのでその深さ広さを語れないが、ヒトには、愛するが故に、占領や独占欲が増し、支配や凌辱を重ねやがて破壊したくなると言っていた師がいた。その典型的な例として、熱烈なファンによるストーカー行為がエスカレートしての惨殺などがある。少し古い事件だが、ジョン・レノンの殺害事件を振り返ってみる。一部の報道では、ジョン・レノンの熱狂的なファンだと報道された殺害犯のマーク・チャップマンも、レノンにサインを断られたことが引き金となって殺害に及んだとか。真相は犯人にしか解らないことながらタナトスとエロスの相関関係を考えると頷ける。

 ジョン・レノンと言えば『イマジン』。1971年に発表され一躍アメリカの『ビルボード』誌を邁進した楽曲だ。歌詞の一部、特に2番を引用する。(和訳は筆者による)

Imagine there's no countries

It isn't hard to do

Nothing to kill or die for

And no religion too

Imagine all the people

Living life in peace


想像してみて 国なんて無いってことを

そんなに難しくないでしょう

殺す理由も死ぬ理由も無く

そして宗教も無いんだ

だからみんな想像してよ

平和のもとに生きるってことを


 国家や宗教や所有欲によって起こる対立や憎悪を無意味なものとし、曲のユートピア的な世界を思い描き共有すれば世界は変わる、と訴えかけている。どうだろうか?所有欲や国境も無く、宗教も無いことを現代の人は受け入れられるだろうか?受け入れられなくてもこの歌詞に力があることは理解できるのではないだろうか。

 人は何かしら他人より秀でている部分が自分にあったら嬉しい。それが財産や名誉、権威と呼ばれるパワーなど。隣の家より広ければ自慢だし、1円でも多くを所持していれば安心だ。寂しい欲だが誰にでも思い当たる話だ。

 日本が昔、近隣のアジア諸国を侵略したことがある。満州、韓国、南樺太などを植民地として、挙句に真珠湾攻撃で第二次世界大戦へと突入した。このことを日本の現代史の授業では詳しく教えないらしい。歴史は変えられないから、自国の不始末を教えたくないというのか。反省も何もあったものではない。それが証拠に、日本がアメリカと戦争を知らない若い子の多いことに呆れる。(文末にこれに因んだ拙歌掲載)

 私たちはハワイという特異な土地で生活している。1868年、約150人の日本人が労働者としてハワイに上陸し、「元年者」と呼ばれ築き上げた苦労も文化も名誉も、真珠湾への奇襲攻撃で泡と化したハワイ州だ。多くは書かなくてもここに生活している日本人なら先達の無念さは理解し合えるだろう。

 今、筆者の手元にある「ホノルル・スター・ブルテン」の1941年12月7日付の号外の画像をアップする。インクが掠れ判読困難ながらも、文字は残酷に「爆弾で殺された」と綴っている。



 「戦争なんて言うからいけない。あれは人殺しだ!」と言った人がいた。その通りだと思う。こんな話題も苦しいが、一度は書かなくてはと思っていた。そして、私の拙いエッセイと短歌も、今回で終わりにしようと思う。毎回読んで下さりありがとうございました。

 おっと最後にもう一度ザ・ビートルズの話題へ。

 ジョン・レノンが亡くなった1980年から53年後の2023年11月2日(日本時間)に、最後の新曲が突如世界中に発信された。タイトルは「ナウ アンド ゼン」(Now and Then)だ。 レノンが79年に遺したピアノの弾き語りのデモ音源が蘇った。歌の内容はラブソングだが、今の世界情勢を見たら、レノンはどう思っただろうか。


「うそマジで!」口を覆いて*JKは史実知らさるパールハーバー (*女子高生のこと)

 見学の後に「敗戦記念日」と上書きされる夏休みかな

                           

                        *****リリコイ*****


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 「フレネミー」

 フレネミーとは、友達(friend)と敵(enemy)を組み合わせた造語で、「友達のふりをした敵」ともいうべきとてもいやらしい存在を差した言葉のこと。心理学用語ではないが、最近よく使われるようになってきた。表向きは応援しているが、幸せになると邪魔をするという気味が悪い人、それがフレネミー。

 米国の研究では、フレネミーは、親身になって話をきいてくれるが、たまに攻撃もしてくる人で、どう接してよいかにばかり意識が集中してしまい、判断力を奪われ、常に感情を揺さぶられてしまうので、強いストレスを感じる。また、フレネミーと一緒にいると鬱になりやすく人生に不安を感じやすくなるという結果も出ている。


 例を挙げると、「君さ、家の事やりすぎ!嫁さんになめられるよ!」とか、「毎日毎日、旦那の弁当作って機嫌取ってるの?」とか、夫婦が仲良くやっていることが気に入らないのか、夫婦仲にヒビを入れようとする。フレネミーには要注意だ。

 似たような心理的虐待に「ガス・ライティング」がある。この言葉は1940年代に映画化された「ガス燈」に由来する。 

 具体的には、不都合なことが起こった時、全てあなたのせいにし、「周囲の人があなたを嫌っているよ」と言う。身に覚えのないことをあたかも本当にあったかのように言われ、反省を促されたりする。「あなたの工夫が足りないからAさんから返事を貰えないのよ」などと言い、返答の貰えない理由を、一方的にあなたのせいにしたりする。ちなみに、行為をガス・ライティングと呼び、行為をする人をガス・ライター呼ぶ。

 フレネミーもガス・ライターも、始めは親身になって良い人のフリをし、距離を縮めで近づき自分の仲間に引き入れるが、気に入らないと手のひらを返して仲間外れに追い込むのだ。誤った情報を、言葉巧みにそして日常的に言われたら、「自分が間違えている、自分が悪い」と思い込み、自責の念にかられ、次第に人格や生活が破壊されてしまう。

では、フレネミーやガスライターが現れたらどうしたら良いか?

答えはたった一つ。直ぐに離れること。これしか自分の身を守れないし、そんなサイコパスと関わっているほど人生長くはない。

 フレネミーもガス・ライターもご免被りたいものだ。こんな輩に違和感を感じ、反撃に出ると決まって返って来る言葉がある。「それはあなたの誤解です!」「You misunderstood!」

 ん?最近の政治家がよく口走るセリフに似ているな・・・。そう、本人は全く反省を知らない。

                *****リリコイ*****

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 【間について】

 ハワイにいる頃はテレビを観ることもなかったが、ラスベガスに借りた住まいにたまたまテレビが置いてあったので、しばらく前からYouTubeで日本の番組を時々観るようになった。  どういう訳かほとんどが「SAMURAI&NINJA」のタイトルで、侍番組や昔のドラマ、サスペンスものである。ただしドラマ途中には、地元ローカルのコマーシャルが2回とか3回必ず流れる。

 最初は時間つぶしでただ観ているだけだった。その内、時代物の番組に奇妙な親近感と懐かしさやほっと気持ちが緩んだり、いつの間にか共感している自分を発見した。往年のスターである中村錦之助や大川橋蔵、中村吉右衛門、松平健等々映画俳優の若き姿にだろうかと問うてみたり、あるいは外国に住んでいるせいだろうかとか思ったりしていた。もちろんそれも多少はあっただろうが、どうもしっくりせず「日本人のせい?」とも考えたりしていた。

 ある時、はたと思い当たった。時代物の背景に流れる音曲の途切れや演技で声のしない沈黙の瞬間、何もない時間があるのだ。時代物には、つまり演技やバックに流れる「間」が結構あるのだ。

 西洋の音楽は嫌いではないからたまに聴いている。が、バッハにしてもモーツアルトにしてもクラシック音楽は様々な音によって埋め尽くされている。例えば、モーツアルトの「交響曲二十五番」など息を継ぐ暇もなく、息苦しさを感じる事すらある。それにひきかえ、日本古来の音曲は琴であり三味線であれ音の「絶え間」というものがいたるところにあって長閑なものを感じる。このように日本的な楽器には、「間がある」「間を置く」時間的なものがあるのだ。そのように感じことは無いだろうか?

 もう一つ。日本の独自性が感じられたものがあったのです。

時代物に出て来る武家屋敷です。これにも心を揺さぶられる要因があるかも、と思っています。本来、日本の家の中には「壁」というものがなかった。西洋の家は西部劇の時代から部屋を壁で仕切り、個室で組み立てられた家に住んできた。ところが日本の家は、区切りには障子や襖で戸を立てる。「源氏物語絵巻」などの王朝時代や宮廷の貴族たちの屋敷を見ると、襖や几帳など様々な間仕切りの建具で仕切られていても、至る所すき間だらけである。しかも、季節のめぐりとともに入れたり外したりできる。

 これも日本の気候風土が生み出した日本人の智慧ともいえる気がする。又大勢の客を迎えても大広間にすることもできる。昔から日本人は自分たちの家の中の空間を自由自在に繋いだり切ったりして暮らしてきた。つまり、「すき間」「間取り」の空間的な間があった。

 調子に乗って更に言わせて頂ければ、人や物ごとの間に取る心理的な「間」というものもある。日本人は、誰でも自分以外の人との間に、たとえ相手が夫婦や家族・友人であってもさまざまな心理的な距離、「間」をとって暮らしている。この様な「間」があって、初めて日々の暮らしが円滑に出来ているのかもしれない。


 挨拶の仕方も外国人は握手をしたりお互いに抱き合ったりキスをしあう。日本人は少し離れたり、遠くからお辞儀をして適宜な間を置くが、外国人のように親愛の情を示すスキンシップは殆どしない。

 こうして簡単に羅列するだけでも日本独特の「間」は大昔からたゆみなく日本という島国に存在し、日本人はあらゆる分野で歴史的・文化的・生活の中で、上手に「間」を使いこなしてきたのではないだろうか。それを上手に使えば「間に合う」「間がいい」になり、使い方を誤れば「間違い」、「間」に縮まりがなければ「間延び」、間がよめなければ「間抜け」となる。こうなると日本の文化は、大袈裟かもしれないが「間の文化」ということもできる。

 もし日本文化独自のものをと問われたら、間もその一つだろうと思う。忘れてならないのは、この「間」は現在もあらゆる面で、たゆみなく働きかけている気がするのである。ひょんなことからの着想だが、日本文化の一つとして、無意識に息づいている「間」という存在を、日本人としての皆様はどのように感じ、捉えるでしょうか?

                                 K/和子


会員の広場

  「平和主義者が陥り易い問題」

 世界のどこかで戦争や内戦が起きている。世間を見渡せばイザコザだらけ。誰だって諍い事は避けたい。見るのでさえも不愉快なことである。

 だからと言って身近で起きている揉め事を「はいはい、どっちもどっち、仲良くしましょう!」と、まるで駄々っ子をあやすように有耶無耶な仲裁などしてはならない。諍い事には必ず原因があるからだ。

 戦国時代に「喧嘩両成敗」という公正さよりも軍の規律を優先させる、ある種の無法状態への対応があった。秩序維持を、公正さの確保よりも重んじる方法で、これを今でも正義論として推し進める人がいるので困る。そういう人は、そもそも仲裁しようという気持ちも無ければ、互いの言い分を聞いて一肌脱ごうなどという覚悟も無い。つまり、「事なかれ主義者」が殆どだからだ。

 こういう「事なかれ主義者」はいつも心が平安だ。何故なら「事なかれ」なので、他人のために自分の時間や労力を使うことが無いからだ。そういう人は、自分を平和主義者、平和の使者だと認識しているので全くもってお花畑な人が多い。

 しかし、私たちは、こういう一見平和な人に惹かれるのも事実だ。いつも平安なのでニコニコしているわけだし、自分のお花畑で蝶々を追ったり、流れる雲を眺めているだけなので、口から出る言葉も柔らかく滑らかだからだ。物事を相談しても、「きっとAさんはあなたにお金を返したつもりでいるのでしょう」とか、「Bさんは忙しいそうだから、忘れているのでしょうね。」というような、AさんやBさんの代弁までしてしまう。何となくソフトな返答なのだが、コレ、一つも解決に至っていない。ともすると、無責任極まりない虚言とも言えるのだ。

 他人の問題に立ち入るのがいいわけではないが、相談を持ち掛けられたら、その場しのぎの対応をせず、問題点を共に探るくらいのことを私はしたいと思う。

 心を配ること。これを心配と言う。

 心を配られたら、誰もが嬉しいものだ。

 ところで、筆者は大病を患っている。が、友人らがLINEやテキストやカードでそれとなく心を配って下さる。大袈裟な家庭訪問やギフトなど要らない。心を配られる度に真の平和に包まれる。多謝。

                       *****リリコイ*****


会長の独り言

 帰ろかな、帰るのよそうかな?

 ハワイに住んで30数年の月日が経ちました。2019年の暮れに始まったコロナ禍のせいで帰省もままならなかったので、4年ぶりにこの7月初旬から8月末まで2か月間に渡り、日本とタイ、カンボジアなどを回ってきました。

 第一印象は、日本の町のどこへ行っても清潔であること、仕事での職人気質が生きていることへの喜びでした。駅、デパートなどの公衆トイレの清潔・素晴らしさはまさに感動ものでした。居酒屋での食事が美味しい上に、円安のせいもあってとっても安く感じられました。電車や地下鉄、そして長距離バス、JRにしても時間が正確。日本の素晴らしさを再認識させられました。暑かったせいかホームレスにも出会いませんでした。これでは外国人が押し寄せても無理はないだろうと、オーバーツーリズムを心配しながらも、外国人の心情が理解できます。

 タイのバンコックでも2週間足らず滞在していました。数年前までは毎年のように訪れていましたが、久々の今回は「いつの間にか日本より物価が高くなってるのでは?」と感じる場面にしばしば出くわしました。日本からの輸入品であればそれは当然だとしても、スター・バックスのコーヒーにしてもマクドナルドのハンバーガー、コーヒーにしても日本のそれよりも高い。ハンバーガーのお肉までアメリカから輸入しているとは思えない。地元で調達していると思いますが、要するに全体の生活水準が日本に比べて上がり方が早いのだろう、と思えました。

 「失われた30年」と言われる1990年初期の日本のバブル崩壊以降から変わらない給与水準、デフレ物価が続いているうちに、いつのまにか世界から取り残され「ジャパン・アズ・ナンバーワン」っていつ誰が言ったの、と忘れてしまうくらい、日本は外国人にとって「優しく、美しく、そして安い国」になってしまったのかも知れません。

 ドル高・円安のお陰で、私も生まれて初めて「お金持ちの気分」を味わわせて頂きました。経済学者ではありませんから、この傾向がいつまで続くか分かりませんが、少ない知識で勝手に推測すると、これから近い将来に日本が急速に国力をつけて世界の中で「円が最も安心できる通貨」となる日は、残念ながら私が生きている間には実現しないのではないかと思うようになっています。ここ数年のノーベル賞受賞者を見るにつけ、元は日本人ながらも日本の学窓では十分な研究も出来ないのかアメリカ国籍に変わっていたり、イギリス国籍だったりして、もはや日本国籍ではないにもかかわらず「日本人が受賞した」と官民マスコミ含めて大騒ぎするのにはいつも違和感が残ります。


 このところ、ハワイから日本に帰国する在留日本人が顕著に増えています。ハワイに戻ってからはショッピングや外食するのが怖いくらいです。一昔前までは「老後はハワイで」という言葉もありましたが、今の時代、老後をゆっくりハワイで暮らせる人々は大金持ちか、絶対的に健康に自信のある人たちだけではないでしょうか。ちなみに私はどちらでもありません。ならば老後をどうするのか?と言っても後期高齢者ですからすでに十分老後ですが。

 日本へ「帰ろかな、帰るの止そうかな」北島三郎さんの歌が口をついて出てくるこの頃です。

                    木曜午餐会会長 新名 瑛


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