日本語の不思議〜"僕"と"私"

12月7日
演題:日本語の不思議〜"僕"と"私"
講師:れいのずる・秋葉かつえ 女史
(元ハワイ大言語学教授)










Meiko Gimaさん投稿
レイノルズ、カツエ女史、元ハワイ大学言語学教授による講演が木曜午餐会でなされました。 日本語の一人称は100ぐらいある。(僕、私、あたい、わたくし、自分、俺、手前、拙 者、我輩は、、、、) 中国から文字が入ってない以前は、日本語の話し言葉しかない言葉であった。表現力が貧しかった。 中国語ー漢字ーひらがなーカタカナー語彙 初めて日本語を書いて読むことができた。文化と社会の歴史をやさしく、豊かにした。紀元前2世紀までは文化は停滞していた。中国より新しいテクノロジーが入って社会が変わると言葉が変わる。一人称はどうなるの?僕の研究していると日本の歴史が見えてました。 吉田松陰の書簡集には僕が半分くらい使用されている。尊皇攘夷ー幕府を倒そうと松蔭塾を開き勉強会をする。
 私は 1か月の休暇をとって山口県の萩に行ってきました。たたずまいが中国に似てました。 吉田松陰が、僕を、初めてつかったという説〜〜渡辺華山も僕を使っている。松蔭より10才年上であった。華山は牢屋に閉じ込められている時に、絵の仲間や、友達には僕を使っている。公用の時は上司には私として使っている。その時代は、世の中が混沌とし明治維新はまさに日本の革命であった。 夏目漱石は留学先のロンドンより、小生、それがし、を使っている。 又、一般の方々でも〜〜僕〜〜よりも〜俺〜が盛り上がっている。 現在では〜僕〜を使うなと上司に言われます。一般的に目上の方と話す場合は〜俺〜は使わない。 徳川家康は皆んなに漢文を習えと命じた。





先日の木曜日は木曜午餐会で有意義なお話をありがとうございました。非常に緊張して一言一句聞き逃すまいと、考えながらしかしながら楽しく拝聴させていただきました。メンバーの方々も、久しぶりに、時間を忘れるほどの集中ぶりでした。講演後も質問が多くて、時間を予定よりかなりオーバーしてしまいましたこと、まことに申し訳ありません。メンバーの何人かが言っていましたように、心地よい緊張感の中で、充実した時間を過ごせたように思えます。これも一重にカツエ様の話術というか、聞き手の顔色をうかがいながらの話の間合い、そして難しいようでも分かりやすい言葉での語りなどがメンバーの皆さんにも「もう一度聞かせていただきたい」という希望につながったのだと思います。
カツエ様にとりましては、なんの徳にもならない私たちの会合ですが、メンバーの喜ぶ顔を見ると、この方にお願いしてよかった、という役員としての安心感があります。リョービンさんのお陰であることは言うまでもありません。彼女はしばしば変わり種と申しては失礼ですが、私たちの選択する講師とは一味も二味も違う方をこれまでにも紹介していただいています。
なにとぞ、これに懲りずに来年のいずれかの時期に再び今回のようなお話をしていただければ幸いです。今後とも宜しくお願い申し上げます。

木曜午餐会会長 新名 瑛

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