会員のつぶやき

 

今どの国も、人の命を軽く見ていないでしょうか。息をしているこのアメリカだけでも、この2年間にコロナでの死者数は100万近い。過去最大の戦死者数は南北戦争時の4年間で60万人と第二次世界戦の10万人の際立った犠牲がある。2年前に発生した新型コロナは、進歩した世界機構と進化の医療技術の中では、100年前と同じように猛威を奮えないように思われていた。

 確かに、前回には不可能であった待望のワクチンも出現しましたが、世の人は1回の接種で安心したのも束の間3回、4回と打ち、終息を望んでいます。今は、我々ワクチン万能依存症で日々を送るしかないようです。そう、マスク、手洗い、ディスタンス、うがいの励行と100年前の政府推奨と大筋は変わらない・・・その期待結果が、内外に発する国の方針は、ただ「ウイズ・コロナ」で政治・経済を行こうということのようです。

 私は、人間はコロナに勝てると思っている。そこには敵を知って絶対に妥協しないことである。即ち、感染は人から人。自ら増殖しない。熱に、紫外線に弱いこと等しっかり認知すること。1)外出着はその都度ドライヤーで殺菌。2)なるべく子供と接触しない。3)外出時ヘアーを覆う。4)見知らぬ人とは直接合わない。5)土足で家に入らない。6)野菜料理には火を通す。7)ベリー類、葡萄はよく洗う。8)小型消毒液瓶を常時携帯。 要は、目から鼻から口からウイルスをシャッタアウトすることだけです。

 それでもこの正月、もう少しで油断することがありました。ご存知、地元の宇治平等院に初詣の時のことです。寺の境内は広く、正面左手側には鐘楼が在って、大きな梵鐘に向かって大勢の参拝客が列をなしていた。それは皆釣鐘をたたくためであった。自分の番が来て、いざ撞木の手綱に手を掛けようとしたのだが、その綱は手垢で黒ずんでいた。が、一瞬に握り躊躇しながら撞いた。この時の心境は仏の身心に託すしかなかったが、すばやくポケットからティッシュを取って手を拭いた。そこには手袋、消毒液もなく監視人も居ず掲示板もない現実に、人々はコロナ禍の深刻さを忘れてしまい粛々と撞く姿を見ながら、まだまだサバイバルの月日が長く続くと思った。     

 初詣 手綱握るに 臆(おく)びるも 撞く梵鐘(ぼんしょう) 仏にゆだね

                   木曜午餐会会員  パロロ在住 今森貞夫 

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