ハワイ米国陸軍博物館
ここは“穴場”だと思っています。私はワイキキに住んでいますので、アラモアナ公園を散歩して、ヒルトンホテルの海側を歩いて汗をかいた後は、この博物館で休憩します。入場する時に名前と住所は記入させられますが、無料です。エアコンが効いています。
展示室に入ると、ハワイ8島が統一されるまでの戦いの歴史。1898年に米国の統治領となってアメリカ軍が到着。1911年には沿岸防衛の強力な砦として厚さ12フィートのコンクリートで囲まれた14インチのランドルフ砲台を設置。50キロ先の目標にも命中させるという当時としては最高峰の巨砲で米陸軍も得意絶頂にあった時に、日本軍による真珠湾攻撃。ハワイの防御態勢を根本的に見直すようになりました。
この辺までじっくり鑑賞していると、火照った身体はひんやりとしてきます。第二次大戦での日本軍との戦いも展示されていますし、日系アメリカ人兵士のヨーロッパ戦線での戦いぶりもかなり詳しく紹介されています。アメリカ軍はこの後1950年から始まった朝鮮戦争、そして1964年ごろから本格的に介入していったヴェトナム戦争などについても知ることが出来ます。ハワイからも多くの日系兵士が戦場に投入されました。
とくにヴェトナム戦争に従軍したカウアイ島出身のエリック・新関元陸軍参謀総長はオバマ政権時代にはアメリカ合衆国退役軍人長官まで務めました。両祖父母とも広島県出身で、プロゴルファーのデイビッド・石井とは従兄の関係にあります。数年前まではエリック・新関だけの“個室”がありましたが、なぜかトランプ政権時代に消滅してしまったのが悔やまれます。
2階に上がると、「英雄のギャラリー室」があります。今ではホノルル国際空港の名前にまでなっているダニエル・井上アメリカ上院議員のほか、ヒルトンホテルのあるカリアロードを挟んで博物館の山側にあるサッカー場のような大きな広場、クロダ・フィールドと呼ばれていますが、この名前の由来となった日系人兵士で構成された442連帯のロバート・黒田曹長(写真:右下)など多くの日系人兵士の顔写真が展示されています。黒田曹長らは1944年10月にドイツとの国境近くのフランスのブリュイエールでドイツ軍と遭遇。勇猛果敢な戦いぶりで米軍兵士を守り、ブリュイエールの街をドイツから解放。この街には今でも「442部隊通り」と名付けられたアベニューがあります。
40人くらいのヒーローが展示されていますが、およそ半数が日系兵士であることに見ていて感動を覚えます。さらに進むと広い2階の屋上にはヴェトナム戦争に使用された大型のヘリコプターが展示されています。高層のビルを背景にしている軍用ヘリを見ると、いつの間にかサイゴン陥落の1975年4月、大統領官邸の屋上から南ヴェトナム政府の要人たちが脱出するために使ったヘリコプターを連想させます。
たっぷり1時間は「休憩」させてもらいました。パールハーバーの太平洋航空博物館に行くのも必要でしょう。ビショップ博物館にも足を運んでいただきたいと思います。
でも、ハワイ米陸軍博物館はワイキキにあります。朝は10時から午後4時まで。日曜と月曜日は休館です。私は半年に1回は休憩に行きます。エアコンがいい。
木曜午餐会会長 新名 瑛
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