会長の独り言

勢いを見せる韓国パワー

 最近の若者がKFCといえばKorean Fried Chickenの意味で、一世代前の人々は Kentucky Fried Chickenのことを思い浮かべるらしいです。日本ではどうか知りませんが、少なくともホノル


ルではそのようです。ここ2~3年の間に、ガーリック味のCrispy Bonelessとか 醤油っぽい色をしたShoyu Chicken, Honey Butter Chickenなどを看板にした唐揚げチキン屋さんがスーパーマーケットの中とかフードコート内で見かけることが多くなりました。

 私も唐揚げチキンは好きですが、Kentucky Fried Chickenはほとんど食べたことがないので比較は出来ません。でも、見た目だけからすると私にはKorean Fried Chicken の方が美味しそうには見えます。あまりに美味しそうなので、ある日ポット・ラックパーティーにそれを持参しました。仲間はシニア世代の人ばかり。珍しそうに観察しながらも一口かじって「へー、これ美味しい!」。我も我もと手を出してチキンをかじった挙句に「これならKentucky Fried Chickenも負けるわ」。

 本当は、チキンの唐揚げの話ではなく、住んでいるホノルルでのコリアン・パワーの勢いが30数年前のバブルの頃の日本勢のように、あらゆるところに浸透しつつあることを言いたかったのです。

 以前は小さな自動車修理工場などが立ち並んでいたカカアコ周辺にはテキサスをベースとするハワード・ヒュー・コーポレーションが高層、高級コンドミニアムを次々と建てていますが、アラモアナ周辺では韓国の開発業者がこれまた「これでもか」と言わんばかりに次々と高級コンドを建設中です。写真(右)で見るとケアウモク通りの遠くにあるのが韓国のデベロッパーが開発した高級コンド、手前の整地中の土地には高層の2棟の高級コンドが建設中で
す。

 新型コロナの影響でこの2-3年の間、ホノルルに来られなかった人々が、アラモアナ周辺、特に山側を歩くと景色が大きく変わっていることに驚くに違いありません。アラモアナの中央から山側に伸びているこのアウモク通りは通称「コリアモク通り」と呼ばれほど韓国のバーやレストランが立ち並んでいました。ハワイ州政府もこの地区を「コリアン・タウン」と認定していました。ここ2年の間に、レストラン、バーはどこかへ立ち退き、高層のコンドミニアムに次々と塗り替えられています。

 それに比べて日本勢は力がありません。もっとも、バブル以降の日本は「失われた時代」と呼ばれているそうで、サラリーマンの給与も上がらなければ、物価もほとんど上昇していないようですから他の国々に追い越されてしまうのも仕方ないことなのでしょう。私がハワイに来た頃の1980年代は、大林組、東急建設、鹿島建設、長谷川工務店、前田建設、住友不動産などの企業が幾つかのプロジェクトを担当していましたが、今ではオアフ島西のはずれにあるエバビーチの方で「Haseko」の名前を耳にするくらいです。

 私の通っているMCSA(McKinley Community School for Adults)語学学校でも韓国人の数が圧倒的に多くなってきました。国民性の違いなのか、日本からの生徒が比較的ぼそぼそと話すのに対し、韓国からの生徒は主張が強いです。学歴もあって優秀な人が多い。サブウエイのパンを買いに行けばオーナーは韓国人。靴を修理に出せば韓国人。ドンキの前の散髪屋さんは韓国人。オープン・マーケットの魚屋さんに行けば韓国人。鍼の先生も韓国人。韓国系


のキリスト教会はあちこちに。昔のホノルル警察署の跡地は韓国移民110周年を記念した公園に(左の写真)。ホノルルでとくに選んで韓国を求めているわけでもありませんが、結果的にはなぜか私との出会いが多い。自分のヒストリーを調べたことはありません。でも朝鮮半島からの血が流れているに違いない、と思っているのです。

 2019年のカンヌ国際映画祭で最高のパルム・ドール賞、アカデミー賞では作品賞を受けた韓国映画「パラサイト 半地下の生活」、そして2021年のアカデミー賞で「ミナリ」に出演した韓国のユン・ヨジョンが助演女優賞を受けるなど韓国の世界への羽ばたきには目を見張るものがあります。K-POPの「BTS」の活躍はまさに“驚き 桃の木 山椒の木”の類ですね。

 韓国の人口は5,100万人、日本のおよそ半分。単に“キムチパワー”の説明だけでは片づけられない何か秘めた力があるに違いない。それを極めたいがために、私は今日も韓国ドラマを観て、ユッケジャン、トッポキなど韓国料理に舌鼓を打っているのです。何が違うのだろう?

 歴史を少し振り返ると朝鮮からのハワイへの移民は日系人の官約移民(1885年)に遅れること18年、1903年が最初でした。クリスチャンが多かったのですが、途中からサトウキビ畑で働いていた日系人がフィリピン人、ポルトガル人などほかの国からの労働者と給与・待遇が違うといってストライキなどを始めたために、砂糖会社は“スト破り”用員として朝鮮から労働者が送り込んできたようです。統計としては1905年以降、アメリカで東洋人排斥法が成


立する1924年までにおよそ2000人の女性が“写真花嫁”としてハワイ、カリフォルニアに移民として入植しています。日韓併合後は、政治的亡命者やエリート層の子弟が多くアメリカに来て勉強していました。また朝鮮戦争時代にも多くの人が国を逃れて移民としてアメリカに渡っています。そして今では200万人近くの韓国系アメリカ人がアメリカ各地に「コリアン・タウン」が作って地域社会に根を張っています。その一端が前に紹介したホノルルのケアウモク通りです。アメリカでは毎年1月13日が「韓国系アメリカ人の日」に指定されています。1903年のその日に朝鮮からの移民が最初にハワイに到着した日を記念したものです。

 

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