セドナ再訪
会話の少ない私と彼が口を開けば「もう一度セドナを再訪したいね」。ラスベガスからは車でひとっ走りです。4月にラスベガスに移住しセドナもぐーんと近くになりました。もう「ご近所さん」です。相棒の痛々しい膝も喜んでいます。
6月に入り、ガソリンの高騰だけでなく小さな気がかりもありましたが、転居するきっかけの一つにもなったセドナの神様に報告とお礼をしに2泊3日の予定で実行することに。
自宅を朝7時に出発し、ルート66の町の一つセグリマン(写真左)まで約3時間。ここで年配の日本人観光客のツアーにお会いした。数分の会話でもして出発しようとしたら突然、私達の車のホーンが鳴りだし大慌て。エンジンをかけても収まらずいつまでも大きな音で「プー、プー、プー」。周りの人も何事かと見守り始めて、どうなる事やらと困り果てていたところ、旅行客か土地の人かわからないが、その原因を探ってくれ無事鳴り止んだのです。人騒がせのとんだご迷惑をかけましたが、その後、その日本人との会話に花が咲き、いざ出発。袖触れ合うも多少の縁ですね。
セグリマンから2時間弱で、地球の歴史が剥き出しになっているようなセドナに到着。以前宿泊したホテルのチェック・インまで、広大で神々しい4大聖地・パワースポットの一つエアポート・ミサとカセドラル・ロック(写真右下)の神様に再会の喜びとお礼、近況報告をしつつ、今回も母なる地球のガイアの愛と大地のエネルギーを深々と吸わせて頂いたのです。
翌日はホーリー・クロス・ロック教会で4月下旬急逝した牧師先生の冥福をお祈りし、再びカセドラル・ロックへ。彼が言うには「ここの神様と向かい合い会話をしたら、喉元から胸にかけて何かがス~と降りたような気がして心身が軽くなり、せせらぎまで歩ける感じがした」と。
燦々と輝く太陽の下、私は霊感を感じるそんな感覚がないまま枯渇したデコボコの川底を歩き始めたが、彼の膝が耐えられず30分程で断念。
その後、スヌーピー・ロック(写真左)やコーヒーポット・ロック付近を車であちこち回り、写真と目線を通し、自然の中に活かされている感謝と母なる大地から湧き出ているエネルギー三昧の至福の時を過ごしたのです。今回は比較的自由で時間もたっぷりとあったので、ウエスト・セドナ、アップダウン・セドナ、グランドサークル・セドナの街並みを諸々探索してみました。
セドナ開拓時代の歴史を語るセドナ・ヘリテージ・ミュージアムが3時閉店で見られず、
1970年代に建てられたメキシコ様式の建物テラカパキ・アーツ&クラフツ・ビレッジがショッピングやレストランのモールになっているというので行ってみたものの、レストラン以外は5時閉店とあってすでに閉めている店が結構あり駆け足での覗き見に終わってしまいました。覗き見歩きをしながら不思議な違和感を感じてました。
清掃の作業員はじめお店の店員や観光客の人々、驚いたことにインディオ系や南米アメリカ人・ヨーロッパ人は多く見かけても、ハワイやラスベガスで見かけるアフリカ系アメリカ人に一人も会わなかった事です。避暑地や避寒地の街だけに、歴史的な人種差別が残っているのかもしれません。大いに興味あるところでした。
3日目は、夜空の星が綺麗なことで有名な天文台のあるフラッグスタッフへ1時間ほどで行き、街並みを車で回りながらアリゾナ大学の広大なキャンパスの中を通りウイリアムズに。ちょこっと街並みを歩き、ランチを食べて夕方ラスベガスに帰還したのです。
今回の小旅行では、朝食やランチがピザやフレンチ・フライと重なったので、携帯電話(iphone)で胃にもたれない軽いものをと探したら寿司バーがあるというではないですか。喜び勇んで行ったら、水曜は定休日とあって閉店! ピンポ~ン!にあたらず、残念! 「セドナの神様にお会いできただけで感謝しなければ、、」と結局はWhole FoodやSafewayで諸々買いだして部屋での晩餐となってしまったのですが、、。二人の念願が叶ったセドナの余韻が一段落し、次ぎへの日帰りのスポットを模索しているこの頃です。
K/和子
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