ゴルフに関心のない方には申し訳ないですが、今回はゴルフと日系人移民の話です。
オアフ島にはホノルル市営のゴルフコースが6つあります。そのうち、最も人気なのは「アラワイ・ゴルフコース」です。ダイアモンドヘッドに見守られながらラウンド数では世界一多い、ということでギネス・ブックにも登録されたほどの名物コースです。反対に最も不人気なのが「カフク・ゴルフコース」です。
ですが、カフクのこのコースは個人的には「ハワイのペブル・ビーチ」と呼んで好きなコースです。観光客でもアメリカ本土からのプレイヤーは「まるで(ゴルフの本場)スコットランドのコースにいるかのようだ」という口コミもあります。ローカルの人々も好きです。
日本人に人気のない理由は幾つかあります。クラブハウス(?)が壊れそうな掘立小屋のようだから。場所がオアフ島の北のはずれノースショア近くでホノルル市内からは遠すぎる。遠くまでドライブしても9ホールしかない。電動カートがないので、ゴルフバッグを手押しカートか、肩に担がなければならない。ビーチ沿いなのでグリーンも絨毯のようではないし、海からの風が強すぎてボールが影響されやすい。まだまだありますが、この辺で。要するに「箱庭的ゴルフコースではない」ところでしょうか。ただ、毎年、スコットランドで開催される全英オープンをテレビで見るたびに「このホールはカフクのコースに似ているな」って一人喜んでいます。
「このコースは日本人の砂糖キビ労働者がオアフ島各地で給与差別に対して一大ストライキした時に、時間を持て余した労働者がキビ畑を刈ってゴルフ場にしたんだよ」というもっともらしい噂もありますが、事実は違います。その一大ストライキとは1909年5月9日の大争議で、カフクだけではなくアイエア、ワイパフ、ワイアナエ、エバなどオアフ島全島で一斉に実行されました。多くの検挙者を出し、ストライキ難民5,000人がホノルルなどに溢れかえったと言われています。その時に獄中にいれられた一人が私がリタイアー前に勤めていたハワイ報知新聞社の創設者・牧野金三郎でした。カフクのゴルフ場はストから28年後の1937年にカフク砂糖キビ畑で働いていた労働者によって作られました。その砂糖精製工場「Kahuku Sugar Mill」は今でも跡地が残っていて、見学することもできます。カフクという地域は2018年までは、毎年の夏には「盆踊り」が開催されるほど日系移民の歴史が色濃く残されていました。1930年代は移民といっても圧倒的に日本からの移民が多く(42.7%)このカフクの砂糖キビ畑で多くの日系移民が働いており、このカフク・ゴルフコースの造成に彼らが駆り出されたことは言うまでもありません。その意味では「日本人の砂糖キビ労働者がこのゴルフコースを作った」と言ってもまんざら嘘でもありません。
砂糖精製工場のオーナーであるキャンベル産業が優秀な労働者を集めるためのエリート従業員施設として造成したアップダウンの多いゴルフコースでしたが、第二次大戦中は緊急離着陸用の滑走路としてフラットに整備され直されたようです。そして戦後はハワイの製糖産業の衰退とともに、ホノルル市への委託でゴルフ場を運営していましたが、2006年にキャンベル社がフロリダの不動産会社に売却。地域住民のラグジュアリー住宅開発反対の声を受けて2017年に12.1ミリオン(約1,200億円)を投じてホノルル市が買収、名実ともに「市営ゴルフコース」となりました。
「オアフ島最後のサトウキビ畑の跡地でもあり、世界でも最も美しいと言われるこの海岸を残せたことはハワイ住民の夢でもありました」と、当時のカードウエル・ホノルル市長は胸を張ったものでした。
日系移民の人たちによる手作りのゴルフコース。プレーの後は隣にあるシュガーミルの工場見学、そして今では有名になったカフクのガーリックシュリンプを食べて島内一周をしてみませんか? 丸一日を有意義に過ごせます。最後に注意事項です。プレーする時には飲み
物を持参すること。初心者はOK(プレーする人が少ないので周りを気にする必要がない)。ロー・ハンディキャップの人は問題ありませんが、15以上の人はボールを沢山持参すること。スコットランドでプレーしてみたい人にはお勧めです。
木曜午餐会会長 新名 瑛
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