「撫でる=ストローク」
神聖ローマ帝国ホーエンシュタイン朝のフリードリヒ二世(ドイツ王)が行った実験がある。それは、赤ん坊は言語を持って生まれてきているという彼の仮説を証明する実験だった。
この愚かな王によって母親から引き離された新生児は、一切の言葉をかける行為を禁じられ、新生児には周りの声が聞こえないようにと命が下された。実験は更にエスカレートし、ナースに赤ん坊との接触も禁じた。まさにネグレクト!
フリードリヒ王は、赤ん坊は自然とヘブル語を話し出すだろうと思っていたようだが、結果を見ることなく終了した。赤ん坊たちは言葉を発する前に死んでしまったからだ。痛ましい実験だ。
ところが、1944年にアメリカで似たような実験が行われた。 愛情がなくても生きていけるのかを、40人の新生児で実験が行われた。20人の新生児が集められ、食事、入浴、おむつ替え以外には何もしない世話人がつき、世話人は絶対に話しかけず、目も合わせず、世話をする際にも最低限の接触しか許されなかった。
4ヵ月ほどで半数が亡くなり、二人は救助された後で通常の扱いを受けたにもかかわらず亡くなった。死を迎える前、赤ん坊たちは世話人に構ってもらおうとする素振りも見せなくなった。未だ言葉を発することのできないの彼らは、泣くことさえ止めたそうだ。動きもせず、表情を変えることもなく。・・・嗚呼、何故にヒトは過去から学ばないのだろう・・。
もう一方のグループの赤ん坊20人には、基本的なケアに加えて、世話人は愛情を示すことも許された。もちろんこのグループの赤ん坊は一人も亡くならなかった。
言葉をかける行為は、頭や肩を撫でたり握手やハグと一緒で、心理学的にはストロークと位置づけしている。人との交流とは、何かしらのストロークが伴うものだ。逆に言えば、ストロークの無い関係には交流は生まれない。
既往症のいくつかある筆者は、パンデミックに際し、閉じこもりの毎日を過ごしている。1年が2年へと、そして3年目に突入と共にメンタル面に不調を来すメンタルダウンを覚えるようになった。自覚があるうちはまだ大丈夫と高を括っていたが、先日、友人と会って話す機会が与えられ、「どう元気?」の言葉のストロークに涙が止まらなかった。こんなにも心が枯渇していたことに驚き、大袈裟なようだが命拾いをした思いだった。フリードリヒの実験を思い出したことも記しておく。
◆◆◆
10月はMental Health Awareness Month(メンタルヘルス啓発月間)だ。市内電話でさえ、最初に808を付ける必要が生じたのは、 Suicide and Crisis Lifeline(自殺防止センター)への電話番号が988であるため、混線防止からだ。
硬い話からスタートした本コラムだが、人には言葉が要る。言葉がけというストロークが心を撫でるから生きられるのだ。もちろん、聴覚に障害のある方には、直に触れる行為がストロークだ。人が一人では生きられないということを、身をもって体験した秋まだ浅い昼下がりであった。
*****リリコイ*****
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