円安とハワイ
信じられないくらいのスピードで円安が進んでいます。20数年前に「1ドルが150円になったらハワイの不動産を売って日本に帰ります」と冗談半分に言っていたことが、まさに実現しようとしています。一時期1ドル80円台に突入して、日本の友人がハワイの銀行に定期預金をしてその利息でハワイの滞在費を賄っていた時代を思えば、すべてが夢のように思えます。
1ドルが80円台を記録したのは1995年のバブル崩壊後と、2008年のリーマンショック後に安全通貨として円が世界的に買われた時期でした。2011年の東日本大震災の後には1ドル76円を記録しています。これは保険会社が支払いの準備として海外資産を日本円に変換させるかもしれないという観測が広がって急速に円高が進んだためのようですが、この時期に日本円をドルにチェンジした人は為替の差益だけでも11年で資産が2倍に膨れ上がったことになります。果たしてこういう人々はいるのでしょうか?いるでしょうね。逆に大きく損をしている人もいるでしょう。
私の周りにはシニアの方が多いのですが、1ドル360円の時代を経験している人も少なくありません。戦前は1ドル2円から5円くらいで推移していましたが、戦争によって日本は産業も経済も壊滅的な打撃を受けました。そこでGHQの指令によって1ドル360円で戦後の為替レートがスタートしました。
通常、為替のレートはそれぞれの国の経済力に応じて決まるものですが、何しろアメリカと比べるだけの経済力が日本にはありませんでした。「日本の貨幣の単位はなんだ?」「円です」「円とはなにか?」「円の一周は360度です」「そうか、それなら1ドル360円でいこう」と嘘のような本当の話で、日本の戦後は始まりました。
それから1971年まで「固定相場制」といって経済力は関係なしに1ドルは360円に固定されていました。アメリカはベトナム戦争で、あまりに大量のお金を印刷しましたから、もはや固定相場制は維持できなくなりました。そこからそれぞれの経済力に応じて為替も変わるという「変動相場制」に移行しました。いきおい、360円は300円に、そして1978年には200円まで日本円の価値が上がってきました。
70年代にハワイに来た友人たちは「あの頃は本当に良かった。日本に旅行に行けばなんでも安かったし、親族のみんなに夏でもお年玉をあげましたね」と未だに懐かしがっています。そうでしょうね。2022年10月の1ドル145円を突破したニュースを見ても、私も日本へ早く旅行したいな、と感じています。
一方、この30年の間に賃金もほとんど上がらなかった日本に悲しみも覚えています。バングラデシュから、ネパールからあるいは中国からの外国人労働者も、今や日本の低賃金で来なくなりつつあると言うではないですか。それはそれでいいことだと個人的には思っています。
外国人労働者、と言っても実際には最低以下の賃金でブラックな仕事をさせる会社も多いようで、「奴隷」のような扱い方をしたり、最終的には非正規の日本人労働者の平均賃金も低く抑えてしまうことになっていたのではないかと思うからです。
何を書いているのか分からなくなってきました。経済・金融の専門家ではないので、今後そこまで円安が進むのか、全く分かりませんが、日本の産業・経済力がいくら落ちてきているからと言って、1ドル200円まで価値が下がるとは思えません。でも周りの友人で日本への帰国を希望している人は急速に増えました。
ハワイのシニア介護施設はあまりに高すぎるので、老後、それも身体が十分に動き回れる老後に日本のシニア施設に入って、日本中を旅行して回りたい、という人々も少なくはありませんでしたが、この円安が進行してからというもの、あたかもラッシュ時のように慌てて帰国準備を始めている方も多いようです。
「日本へ行きたいけど高いから」とハワイのローカルの人々が口にしていたのはいつ頃だったでしょう?今は誰に聞いても「日本へ行きたい。コロナによる鎖国も解除されたので」という人ばかり。ドル高で日本からはお客さんが来ない。両替屋さんも手持ちの日本円がありません。ドルを日本円に交換するのに「300人待ち」という話を聞いたばかりです。
木曜午餐会会長 新名 瑛
20日に、一時1ドル150円を突破しましたね。円安は、止まる気配がないようです💦
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