3年ぶりの!日本 アラカルト
新型コロナのせいで長く日本に行けなかった。イライラしてました。日本は”鎖国政策”をいつまで続けるのかしら?
待ちに待ったビザ免除解禁日となった10月11日の翌日、ラスベガスに住んでいる私達はロス経由のシンガポール・エアラインで成田へ。心が弾みました。機内は座席も広く快適。マスク着用の必要もなく13時間半飛行を苦も無く過ごせたのです「あー何という幸せ!」。
ところがです。成田へ着いた途端、どういうわけかスタッフの指示で全員マスクを着用させられ機外に。歩く先々にはロープを張られ、ライン通りに進んでいたら、途中から二手に分かれた所で「My SOS」の表示がしてあり、アイホーンやスマホを掲げて右手ラインをさっと通り過ぎていく人と、登録されてない人は左のラインに分けられます。そんな“通行手形”を知る由もなかった私達は登録されてない人のグループの左ラインに。
QRコードがあり簡単にできる人はいいのでしょうが、できない私達レベルのために沢山のスタッフと椅子が用意されていてそれは懇切丁寧に操作を教えていただきました。やっと順番が来て次のテーブルに行くと、口頭で健康状態など聞かれて今度は次のテーブルへ。この間だけで1時間以上時間のロスがあり、我々と同じ憂き目にあった観光客の多くもやりきれない心境だったに違いない。知らないと損祖をする見本のようでした。
アメリカに住みながら故国・日本の街並みの様子を日本語ニュースで見ていて「日本ももう大丈夫かな」と思っていたのですが、交通機関や街並みはマスク、マスク、マスク。「1億総右へ習え」の感じで、マスクをしていないと村八分にされ兼ねない雰囲気には些か異常さを感じたものの、やむなく従ったのでした。ここは日本でした。ホテル近くのセブン・イレブンでうっかりとマスクを忘れて入ったら他のお客さんに注意されてしまい、慌てて取りに帰ったりするはめに。日本はすごいですね。国民みんなが監視者でもありました。
今回3年ぶりの日本への旅行の目的は、私のパートナーの87歳になる長兄が、胆管癌が見つかりそのお見舞いに。「今度倒れたら危ない」と言われていたものの、まあそのうちに行けばとゆっくり構えていたところ「ヤス!(相棒の呼び名です) いつ帰って来られるんだ。まだ来られないのか!」と再三の電話があった事に加え、さらにはコロナ渦の最中ストロークで倒れたという次兄のお見舞いも。そしてやはりコロナ渦でなくなった共通の友人たちのお墓参りが主でした。明るい話題でなくごめんなさい。
相棒の実家は商店街などでにぎわっている京急電鉄駅の「雑色」(ぞうしき)とあって、長女のお姉さんの計らいで、歩いて5分足らずにある手ごろなホテルを予約してくれていた。この東京都大田区蒲田近くにある「雑色」と言う駅、名前も聞いた事が無い、知らない方も多いと思います。歴史は古く平安から鎌倉時代にかけて八幡神社を中心に宮中の雑役の役目を担っていた下級役人が住んでいたらしく、明治末期に六郷村に編入され地名がそのまま駅名になったようです。
2017年に雑色駅の高架化工事が完成すると、それまで昭和独特の雰囲気があふれる街だったのが、新しい店が共存する活気のある街へ変化していった。古くからある商店街だけあって、駅前の大型スーパー、小売店、お惣菜屋や食品店、小物屋、1200円のスーパーカット、コインランドリー、セブンイレブン、百円ショップと生活するには事欠かず、常に地域の人が見守ってくれる街、レトロだけど活気があり、美味しい食べ物や楽しい場所もあるし、人とのかかわりが薄れてきてる今、昔から変わらない「お疲れ様」「お帰り」の二つの声がある街で、懐かしい下町風景そのものが雑色でした。
待ち兼ねていた一番上のお兄さんは、病身ながら身内の話から始まって商店街のだれだれさんの話題に尽きること無く、とても87歳と思えない程に人名や人との繋がりを克明に話してくれます。あまりの熱を入れた話し方に、こちらが疲れが出てもと案じる始末。その上、自分は一滴も飲めない日本酒の一升瓶を6本、電子レンジでチンしてすぐ食べられる牛丼を12個など用意してもてなしてくれるなど有難いことこの上なし。さらにはご先祖様へのお墓参り用のお花や、賽銭用小銭もすべて用意してあり、私たちはただお墓へ行くだけでした。(話はまだ続きます)
K/和子
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