3年ぶりの日本 アラカルト(その2)
「ラスベガスでは温泉にも入れないだろう」と長兄の優しいお言葉。病気の体を押して湯河原への電車の手配から、ホテルのスイート・ルームまで予約してくれていました。初めて長男ご夫婦と神奈川県の湯河原に。落ち着いた素晴らしいホテルだったけれど、従業員の殆どがフィリピンからの出稼ぎと聞いてびっくり。でも行儀作法やサービスもなかなか行き届いており、よく気が回っていて好感を抱きました。いつの間にか時代が変わっていました。
夕食に並べられたお膳に唖然! 旅行前に「お料理はこの通り出て来るから、やす達は沢山食べて欲しい!」と義兄に見せられたパンフレットのお料理の量の多さにびっくり。「とてもだけど(無理かも)」と言えばお兄さんのがっかりした様子が脳裏をかすめた。まさにパンフレットそのもののお皿の数が4人分、見ただけでもうお腹が一杯になってしまった。義兄夫婦は共に食が細いため「刺身はやっちゃん」「サラダは和子さん」と次々に私たちに”配給”してくれるのでした。嬉しいやら悲しいやら。察してくれたのでしょう。義姉さんが手提げ袋からタッパーを2個取り出し、生もの以外の焼き物などを移し替えて持ち帰り、周りの人に食べてもらうとか。
翌日の朝食も量がとっても多く、いくら料金の一部とはいえ「お料理の出し方を一考する必要があるね」の結論に達し、余計なことながら相棒はそれをマネージャーに伝えていました。テイクアウトが当たり前のアメリカ流が果たして日本でも通用しましたかどうか。
今回の旅行では東北新幹線や北越新幹線を使ったのですが、都心の電車では聞けないアナウンスが流れていたので披露いたしましょう。
「ご乗客のお客様に申し上げます。車内ではお手数ですがマスクを着用し、必要のない会話は出来るだけお控えくださいませ。ご協力の程、宜しくお願い致します」皆さんはどのように捉えるでしょうか?
新型コロナの感染者が地方で増え始めていたせいもあるでしょうが、盛岡では無かった体験を仙台でも味わいました。仙台のホテルへお墓参りをする友達から連絡があり、仙台市の
決まりで、ケアホームや高齢のお年寄り家族を訪問する際には、事前に抗原検査かPCR検査を受けて欲しいこと、私たちが会う友達家族も検査をし、陰性証明書を提出しなければならないとか。コロナ渦の第3波、4波の対応策は県や治自体によって異なるとは思ったが、少々過敏すぎる気がしつつ、2人ともしぶしぶ協力したものの、気持ちの中は爽やかな秋晴れとはいきませんでした。
しかし良い事もありました。3年前と違い公園や駅の公衆トイレが嘘みたいに綺麗な造りになって便座も心地よく、使い勝手の良さでこれにはびっくり。こればかりはラスベガスやハワイでも見習ってほしいものですが、何処に入っても手をかざす自動エアーや紙類はなく、自前でハンカチを買わざるを得なかったのも、忘れかけていたハンカチ活用の新しい発見でした。
また、どこのスーパーやセブンイレブンなどのキャッシャーでも、コロナへの対応策だったのか、自動支払機が供えてあり、まるで銀行のATM並み。グズグズしていると機械音にせっつかれ焦ってしまうほどでした。混んでいなければレジの店員が操作のやり方や手伝ってくれるのはいいのですが、目線を上から下へ動かしながら馬鹿丁寧な言い方で、ATMの苦手なお年寄り方にとって親切のようで親切でない応対を如何に感じている事か。年配者からの苦情がでないことを願うのみです。
東京・銀座の街並みと下町の庶民的な場所での応対の仕方が全く違うのは仕方がないとしても、銀座で行きずりの人に道順や場所を訪ねた時、アイホーンなどでそつなく丁寧に教えて下さったのは良かったのですが、笑顔がなく通り一遍だったのには些か気がかり。わざと何人かの若い人に聞いてみたのですが、手だけを動かし心ここにあらずの無表情な応対に友だちと2人、呆れてしまいました。その友人曰く「最近の若者の風潮よ、年寄りは相手にされなくなってきているのよ」。真実如何は分かりませんが同じ日本人として寂しい限りでした。
何だかんだと文句を言っても、着いた日に雨に降られただけで、東北の紅葉が里まで下りて来るには1週間ほど早めでしたがその片鱗を眼肌で感じ、爽やかなポカ陽気に恵まれた3週間でした。今回は東京近郊・東北の友人のみで、関西以西には足を延ばしませんでした。風土気質が違えばまた何とかやらで、次回は中国、四国、九州を再訪してみようと考えている昨今です。
K/和子
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