懐かしの日本 その2
前回からの続きです。
11日間の引率ツアーは他のメンバーに迷惑をかけないよう心掛けましたが、気楽な毎日でした。 後半の自前の旅では無理な予定は避けましたが、一人旅は疲れるものです。最後の日には鼻水と微 熱でコロナに間違われて空港でストップされるか心配でした。なんとかホノルルに着いた後、疲れがど ーっと出て荷物整理も手つかずの3~4日でした。
それと気がついたのは旅ではスマホが大いに役立つことです。スマホを電話の送受信にしか使え ない私は、JR の時刻を見るため駅まで出向きました。スマホの時代ですから、そんなお客も少ないら しく、ホテルのフロントにも時刻表は置いていません。
大事なアポは某駅のしかるべき場所でしたが、 旧友が現れず、生涯最後のチャンスを逃がしました。アポは正午12時でしたが、私は11時と間違っ たためです。旧友は事前の連絡でご自分の携帯番号を知らせてきましたが、それをメモしなかったの で、電話連絡もできなかったのです。ビタミン一杯の V8 飲んで朝散歩、軽い朝食、コーヒー飲みながら新聞に目を通す・・・こんな貴重でルーチンな 時間がお年寄りには大切なことが分かってきました。
琴弾公園
再度故郷を訪ねることは無理かなぁと思い、友人に頼んで平安時代に空海が作り、1200年経った 現在も農業用水池として機能している満濃池と隣接する満濃公園(場所は琴平市から山間部に入った 所)を案内してもらう予定でしたが、公園の定休日で断念。
まだ訪ねたことがない香川県西部の観音寺 にある琴弾公園内の丘から見下ろす砂浜に「寛
永通宝」と読める銭形砂絵(砂上の彫刻?)を見たい、とお願いしたら「観音寺に従妹がいるので道案内を頼んでみる」と電話をしてくれました。幸い立派な呉服店の 主、着物(私には分かりませんが黄八丈に模様のある)を召した若奥様にお目にかかりました。車で小 高い丘に着くと、ページ右の写真の通りで、砂絵が望見でき、瀬戸内海を背景に友人が 写真を撮ってくれました。若奥様は車から出入りしましたが、着くずれせず、長いキャリアだと感心しま した。砂絵は風雨で型崩れするので地元の中学生が丁寧に修復するそうです。
万博公園
学生のころ、ある球技と縁がありました。OB ニュースによると、関空出発の前日に万博記念球場で秋 シーズン最後の試合があるということで、時間の余裕もみてモノレールの万博公園駅で下車しました。知人の話では駅を降りると、多くの人が向かう方に歩いて15分くらいとのこと。杖をついてとぼとぼ歩 き始めました。最初に会った警備員に聞くと「よく知らないのだけれど、あの EXPOCITY のうしろの方に あるようです」とのこと。それらしい方向に向かって、EXPOCITY(Shopping Center)を、更に駐車場も通 り抜け、駐車場ビルの上から見ると、大きなガンバ大阪サッカー・グランドがあり、その左側あたりだと思 いましたが、車道はあっても歩道も歩行者も見かけません。何人もの身体の大きな元選手らしい人物 にも聞きましたが、「知らない」「分からない」、残念なことに警備員は最初の一人だけで、ほかにどこに もいません。断念し、帰路につきました。
1970年、大阪万博が終わってこの膨大な万博跡地の利用計画は始まったと思います。この天から降 ってきたような跡地は、大阪府にとっては夢だったでしょうが、誰がこんな構築物をてんでばらばらに陳 列にしてしまったのだろうか?地元の建築家・安藤忠雄さんはかかわらなかったのでしょうか?
マンハ ッタンにはセントラル・パークという美しい市民の憩い場所があります。多分、立派なマスタープランを 最初に作って、何年もかけてプラン通りの公園と限られた建造物を作ったのでしょう。長辺に沿って何 キロ歩いても、走っても樹木の種類や背丈が異なるくらいで、奇異な構築物はありません。実にすっき りしています。
太陽の塔は健在です。塔の裏、北側には万博を偲ぶ緑の公園や池は健在のようですがぼつぼつ 建物を見かけます。今からでも遅くないので、更なる美観破壊をストップしましょう。イベント地区に必要 なのは交通インフラです。何万人もの観客が集まる球技場があるのですから3ルート以上の輸送ルート を整備する必要あり。タクシーは万博公園方面を敬遠するとか。運転手の本音を聞いてください。 モノレール駅前に石坂泰三氏の銅像がありました。石坂氏のようなスケールの大きなリーダーがいな かったのでしょうか?
鳴門大橋
徳島から1.6キロの鳴門大橋を渡り、淡路島と明石大橋経由で兵庫県につながります。鳴門側入口より橋桁下部に作られた遊歩道を450米進むと畳1枚くらいのガラス張りの床が4つあり、 渦潮の真上から覗き込むことができ、更に400米先にある展望所では見事な橋桁の構築美と橋、淡路 島、鳴門の全貌が。現在1.8キロのサイクルロードが計画されています。
MESSAGE
ある新しいホテルで「メッセージ がありました」と部屋のテレビに表示されて いました。部屋の電話器が点滅していたら 口頭で聞くとか、用紙に書かれたメモが 届いたり、フロントへ取りに行く・・・のでは ありません。 同じホテルで不便もありました。外からの 電話は部屋につないでくれますが、 外へかけることはできません。「スマホを 使え」ということです。人手不足対策でしょう。
洗濯・乾燥機
別のホテルでのこと。自販機の横に 洗濯機がありました。注意書きをよく 読んで、洗濯量は「中」ほかをクリックすると 洗剤付きで400円入れなさい⇒約1時間で OK。 50年くらい前の話。「歩き遍路」の2か月プラスの 間、雨の日は宿で延泊するしかありません。 洗濯機がある宿は5軒に1軒、乾燥機となると 皆無です。靴も含めて汚さない・濡らさないに 徹しました。
山谷 敏夫
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