会長の独り言

チャイナタウンの活性化

 ホノルルに住んで34年、一番よく訪れている場所はチャイナタウンです。ホノルル港のすぐ山側一帯35エーカー(東京ドームのおよそ7倍)に小さな八百屋さんから魚屋さんに花屋さん。搾りたてのジュース屋、レストラン、肉屋さん、乾物屋さんなどがところ狭しと入り乱れて、朝早くから昼過ぎまで混雑しています。名前はチャイナタウンですが、中国語のみならず、ヴェトナム、ラオス、タイ、フィリピン、韓国語など多様な言語が飛び交っています。ワイキキから多くのバスがチャイナタウンを通過してくれますので交通も便利です。第二次大戦、ヴェトナム戦争などの時代に兵隊さんたちの“保養基地”にもなっていたため。治安が悪化。ホームレスの多さと相まってまるで「悪の巣窟」のように言われていましたが、ここ数年はチャイナタウンの再活性化プロジェクトが功を奏して、昼間はかなり安全です。


 その目玉とも言われるプロジェクトがスタートしました。最も古い中華レストランだった「和発酒家」(ウー・ファット・チョプスイー・レストラン)の再開発です。現在は再建のための工事中で全貌を見ることは出来ませんが、一度チャイナタウンを訪れたことのある人なら典型的に中国式の3階建てのこのビルに見覚えがあるはずです。

 ホノルルのチャイナタウンは1840年代(この時代はマウイ島のラハイナがハワイ王朝の首都でした)から春と秋の捕鯨シーズンに多くの捕鯨船が入港するようになって賑わうようになったのがスタートです。捕鯨が下火になってからはサトウキビ畑で働く労働者をまず中国から受け入れるための玄関口にもなっていました。その後、中国人に代わって日本人が移民として大量に入ってきて日本風の旅館なども乱立し、一時は「ジャパニーズ・タウン」に衣替えした時代もありましたが、名前は「チャイナタウン」のままです。

 この「ウー・ファット」は1882年に開業、86年の地域火災で一度閉鎖。再建されたものの、89年12月に黒死病が発生(今の新型コロナよりも恐れられたかも)。大晦日の31日には13人の死者を出し、これ以上の蔓延を防ぐため1900年の1月1日の元旦に、ホノルル消防局が感染者の民家に火をつけ燃やしました。41軒目までは“成功”しましたが、1月20日になって風向きが突然変わり、燃やした民家の残り火が近くのカウマカピリ教会の尖塔に飛び火して、炎は瞬く間に次の建物から次の建物に。「チャイナタウンの大火災」になって「ウー・ファット」はじめ町は全滅しました。およそ4000人が家を失い、日本人被災者を多く受け入れるためにクアキ二病院が設立されました。

 従って現在残っているチャイナタウンの歴史的建造物は1900年以降に建てられたものばかりです。「ウー・ファット」の建物は1938年に現在のホテル・ストリートとマウナケア・ストリートの角に再建され、2009年まで営業と続けていました。閉鎖後もチャイナタウンのランドマークとして人々の目を楽しませていました。


 新しいオーナーとなったマイティ・ウーファットLLCは2017年7月に4ミリオンで買い取りましたが、新型コロナの影響で計画が延期。昨年末から動き始めました。10ミリオンの改装費用をかけて昔の雰囲気をそのままに残しつつも、カフェテリア方式のレストランと23部屋のあるブティック・ホテルに衣替えさせるプランのようです。親会社は古い建造物を再建させて利用することでよく知られているマイティ・ユニオンとのことですから、再建工事に着手した「ウー・ファット」が果たしてどんなレストランに蘇るのか、今から楽しみにしています。

 もう一つ、孫文の若いころの銅像があった近くの公園も再整備され美しくなりましたので、チャイナタウンを訪ねた時にはぜひそこも。

                     木曜午餐会会長 新名 瑛 

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