タイムスリップ 2
Episode 6 痴漢?
私の座席の右隣に太り気味のサラリーマンらしき男性。なにか違和感があるなとどこかで感じていた様に思います。膝のアタッシュケースに乗せていた左手をダラーっと下げ指先で私の右腰辺りに触ってくる。その感触を上衣を通して感じたけれど、彼は新聞を読んでるふりを。私がほんの少しだけ体を動かした途端、左手をサッとアタッシュケースの上に戻しそれとなく私の顔を伺っている。しばらくして又おずおずと男の左手が右腰に。
意識してやっている左手の彼の指先の感触が体にビンビン伝わってくる。私はニコッと笑って、新聞から相手の顔にそしてまた新聞に。私も、ここで騒いでも大人げないと思ったのだろう。
電車が止まった時、やにわにその男性が「すいませんでした」と言うやいなやそそっと降りて行った。日吉駅だった。競争社会にもまれる日々の心の鬱せつでふっと魔がさしたのかな~と相手に同情したものの、私以外の女性だったらどう対応していたのだろうか?(92年5月)
Episode 7 怖い女子学生
夕方から本格的な雨。渋谷駅のホームで急行・横浜行の始発電車の列に並んでいた。比較的早く列に並んだのでほろ酔い加減でも座れることは確実。
電車が入線しドアが開いた途端、人がなだれ込み座った途端に大声が聞こえてきた。「なんで肩を叩くんだよー、がっついて。これだから田舎もんは困るんだよなー。女だと思ってなめんじゃね~、やるか―」。斜め前の髪長の10代らしき女の子が、サラリーマン風の男性に向かって凄い顔をしてその男性をじーっと睨みつけていた。
男性は剣幕に押されたのか度肝を抜かれたのか一言も発せず。周りの人たちも傘を持っている手が震えている。何かが起こった時、逃げ出すのかあるいは男性を庇うのか分からないが、雨傘を強く握ったり弱く握ったり。目の前に立っているので緊張で身体全体を強張らせているのが良く伝わってきた。
結局、一言も応えなかった男性のために事なきを得ず、彼女も挑発に乗ってこなかったことに興ざめしたのか、自由が丘駅で降りて行った。
私自身も情けなかったが、周りの人たちの、いざっとなった時、即逃げ出す構え(?)をしていたのにはがっかりした。助けようという気配が微塵も伝わってこなかったからです。(92年4月)
Episode 8 自然の成り行き
春めいた昼下がり。知的障害をもった感じの若い男女が乗ってきた。乗客の視線を気にする風もなく早速チュッチュッを始めた。一見して正常でないと分かるだけに、そこだけ浮き上がったような雰囲気だった。周りの人々は慌てて下を向いたり、隣の人と耳打ちし「あ~、やってられね~な~」。あからさまに顔をゆがめているし、ある子供は直に指さして「ママ―、顔をくっつけてるよー」。「やめなさい、見るのは。恥ずかしいじゃないの」等など。
二人のむつみあいをしばらく眺めている内に、変に体裁ぶる正常人より純粋なふるまいのように思えてきた。本能のなすがままにオスがメスを、メスがオスをお互い求め合うのは自然の成り行きで、なまじ常識や倫理観に振り回されている大人の卑しさと、比較している私がいた。(92年3月)
Episode 9 若者のスタイル
そんなに夜遅くはない時間帯に東横線に座っていて乗客を勝手に想像しながら楽しんで観察していた。中学生か、高校生らしき男の子が二人乗り込んできた。
私の目の前で、ひとりは声変わりの時期か甲高くても口から出る言葉は大人並のしっかりした言葉。二人でどこかのコンサートかライブに行って来たらしく、パンフレットを広げながら、興奮の冷めやらぬ口調でしゃべり合っている。
私の目の位置に 声変わりの男の子の腕の手首から上の所に、黒い鳥の絵と4葉のクローバーが赤く刺青のように描かれているではないか。刺青に偏見のある世代に育った私は、ちょっとびっくりする。目を凝らしてさらに詳しく観察すると反対側の手首の上にも赤いハートの絵とダイヤが眼に入った。顔を上げてその男の子の顔を見たら、なんと左側のほっぺに大きく4つ葉のクローバーの絵も。ハーとこっそりため息をついた。
相手の男の子は普通のスタイルで「あらっ」と思い、他の乗客の顔を見ると、異色の存在の二人に興味津々視線を注いでいる。
そんなところに「菊名」の駅から、髪を黄金色に染め長く伸ばした、身長180センチくらいの若者が乗り込んできた。上衣は皮の真っ赤なジャケット、皮の白パンツ、靴は西部劇に出てくるカーボーイ型、ヤツデの葉っぱみたいな絵のシャツの腰辺りで黒い幅のあるベルトを数本巻き、その先を地面につくくらい遊ばせているものだから、これも乗客の目を向けさせるのには十分であった。
最近の若い人達のファッションも良い意味では個性的、悪く言えば社会への挑戦、意思表示の裏返しかも知れない。日本社会が表面的には何もかもが自由になってきているようでありながら、実は本当の自由が枯渇してきてるのかもしれないとつくづく感じさせられた。(92年3月)
(後述:世界のあちこち放浪したおかげで、今は刺青に対しての偏見らしきものは全然感じないけれど、当時の若い日本人の刺青に違和感を覚えたからこそ、メモしたのだと思う)
K/和子
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