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 「バラ物語」

 コスコに行ったら、検疫を経た薔薇の苗が入荷されていた。この時期の風物詩だ。


 苗を根付かせて、栄養補給と害虫駆除とを怠らず開花させるまでの工程は、どの植物でも同じ苦労があるが、薔薇の華やかさに魅了される人は多い。私の友人もその一人で、欧米の薔薇園かと思われるほど手の込んだ庭になるまで、軽く外車が2台ほど買えると言っていた。オーマイガー!

 薔薇を歌った歌に、加藤登紀子の「百万本のバラ」があるが、これは1980年代に旧ソ連の国民的歌手だったアーラ・プガチョワが歌った曲が原曲である。その歌詞にある貧しい絵描きとは実在の人物で、旧ソビエト連邦構成共和国の一つだったグルジア生まれの画家、ニコ・ピロスマニのことだ。彼が恋した女優マルガリータは実在の人物らしいが、画材を売り飛ばしてまで薔薇の花を百万本買ったという話は、どうも創作であるらしい。

 加藤登紀子と言えば、学生運動の活動家というイメージだったり、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった藤本敏夫氏と獄中結婚をしたりと、とっぽくてカッコイイ東大出の才女であるが、日本が作った傀儡国家の満州のハルビンで生まれた引揚者でもある彼女が、ロシアとウクライナの関係を中心に自身の半生を振り返った著書「百万本のバラ物語」を昨年末に上梓した。

 もともとハルビンにいたロシア人は、コサックの人たちや、ウクライナ人などの亡命ロシア人、バルト三国からシベリア送りにされた人たちの吹き溜まりが、満州のハルビンだと言う。ハルビンから引き揚げた加藤は京都へと移り住むのだが、京都駅からハルビン行きの切符が61円だったそうで、加藤登紀子ならではの記述が散りばめられている。ちなみに、ウクライナの首都・キエフと京都市が姉妹都市提携を結んだのは、1971年(昭和46年)9月7日だ。

 長引くロシアによるウクライナ侵攻。政治的な見解の溢れるなか、彼女の“バラ物語” は何を語ってくれるだろう?

 私にとって、読めても書けない字の一つである薔薇という漢字、「そうび」とも読む。この苗が根付いて花咲く頃の北の大地に平和が訪れているだろうか。もう一つの物語を想起しつつ私はコスコを後にした。

 今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく/皇后陛下御歌 

                          (2019年宮中歌会始の儀より)

                         *****リリコイ*****

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