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【エルトゥールル号遭難事件】

 トルコ・シリア地震から2カ月近く、そして3月11日はあのおぞましい東日本大地震から12年目を迎えました。地震の与えた多大な被害や惨状は年数が過ぎても、被災地の方々は勿論、後遺症として人々の胸から消えることは無いと思います。今回のトルコ・シリア地震でも、日本はじめ各国の多くの救援隊や人々が様々な支援を行っていました。


 実は私も若い時に、好奇心に駆られリュックサック一つで放浪の旅に出た折に途中でトルコにも立ち寄った事があり、とても親日の国だったことを鮮明に覚えていました。というのも、日本とトルコの関係が、日本の最先端技術の供給や友好条約的で結ばれているからではないかと、勝手に想像していたのです。

 申し訳ないことに、日本とトルコの深い絆が実は130年以上前に起こったエルトゥールル号の遭難事件に起因することを知ったのはそれからずっと後でした。日本精神復興促進会主催の「海難、1890年~トルコから見た日本の心」の講演を通して知ったのです。ご存知の方も多いとは思いますが、その内容を再度簡単にご紹介したいと思います。

 1890年(明治23年)明治天皇に謁見した後、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号はトルコへの帰途についた。しかし台風に遭い、和歌山県南端の串本町沖で岩壁に激突し沈没、乗組員は真夜中の海に放り出された。岸に流れ着いた者もいたが、多くの遺体が荒れる海に漂っていたという。生存者69名と死者・行方不明者587名の惨事を見た串本町の村人は総出で助けに出た。着物を脱いで体温で生存者の体を温めたり、まだ荒れ狂う海で生存者を探した。又、岸から村まで40メートルもある断崖を、小さな日本人が自分より一回りも大きいトルコ人を負ぶって登った。ひとりが負んぶし、一人が後ろから押し、もう一人が前から手を引っ張って3人がかりで運んだという。その上発見されたすべての遺体も運んだ。


その年は台風が続き貧しい漁村では漁に出られず、自分たちでさえも食べる物に困っていた。しかし、非常時用のお米や大切に飼っていた鶏を料理してトルコ人を、身内のように精一杯もてなし、必死に怪我の看病をしたという。

 明治天皇がこのことをお聞きになり、看護士と医者を串本町に送り、怪我が治ると日本海軍の軍艦2隻で生存者をトルコまで送るよう、指示を出された。さらに、驚いたことに、トルコ政府からの謝意を兼ねての「医療費の請求書を遠慮なく送ってくれ」という促しに「助けたかったから助けたのであってお金はいらない。そのお金は遺族のために使って下さい」という串本町の返事は感動的なものだったという。又串本町の村民は、トルコ人が無事に故郷に帰れたかどうかをひたすら案じていたという。この感動が映画製作にもつながり、歌にも


なり串本町では慰霊塔(写真左)も立てられ、今でも小学生が清掃し亡くなった方々を忘れないという。

 エルトゥールル号事件から95年の月日が流れた1985年のイランでの話。当時は、イラン・イラク戦争で、イラクのフセイン大統領が全世界に向けて「今から48時間後、イラン上空を飛ぶ飛行機は旅客機でもすべて撃ち落とす」と警告を発した。イラン在住の外国人は一斉に国外へ脱出を始めた。全ての航空会社は満席で、各国の軍用機や専用機がイランの首都テヘラン空港へ救出に来たが、自国民が優先され日本人を乗せる余裕はなかった。

 当時の日本の自衛隊は海外派遣ができなかったし、日本政府は安全性と時間が無いという理由で飛行機を出せないと決断。爆撃開始まであと3時間という時、取り残された日本人のところへ、2機のトルコ航空機が飛んできた。トルコのオザル首相が「今こそエルトゥールル号の恩返しをする時」と言って邦人救出のための救援機を飛ばしてくれたのだった。残された日本人215名は全員この救援機に乗った。トルコの国境を越えたところで「Welcome to Turkey」という機長の声が機内に流れ、乗員・乗客は一斉に涙したという。

 この救援機を出すことが決まった時、機長の候補を募るとその場にいた全員が手を挙げたという。また、選ばれた機長が、これから日本人を救出に行く事を奥さんに伝えたら、「あなた大丈夫?そんなに名誉なことをさせてもらえるなんて、素晴らしい。がんばってきて」という感動的な返事だったとか。

 イランにはまだ多くのトルコ人が残されていたが、陸路でトルコへ脱出した。が、日本人を優先したトルコ航空や政府には誰一人文句を言わなかったという。

 これは、エルトゥールル号の話が今でも教科書に記載されており、トルコ人なら誰でも知っている歴史で、日本人に恩を感じていたからであろう。この恩返しの流れはさらに続き、2011年に起こった東日本大震災では被災地にいち早く救援隊として駆けつけ、最後まで残ってくれていたのがアメリカとトルコだったのです。

 串本町の善行が善行として巡り巡って帰ってくる壮大な恩の流れを知り、ある人の言葉を思い出した。「宗教が生まれる前からの因果の法則があり、自分がした過去の総合が明日の自分を作る。だから時代が如何に無軌道な状態になっても、因果の法則を踏み誤ってはいけない」という言葉。海外生活が長いせいか、あくせくした日常の中、知らず知らずのうちに目先の損得ばかりを考えがちになりやすいがエルトゥールル号の話を思い出して、小さなことでも良い、誰が見ていなくても善いことを続けていく心を持ち続けたいと、初心に帰った気持ちでした。

                         K/和子 

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