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 グリーフ・ケアって?(その1)

 60年近くになる無二の親友がいます。毎年日本に戻る度に、ご主人ともども団欒のひと時を持っていました。建築家で人当たりのいいご主人を、彼女は「トモヒコさん」と呼び、何かとご主人を立て自分を一切面には出さない人です。たまに愚痴っぽく言う時も「縦のものを横にもしないし、黙っていても(食事は)出てくると思っているし、出されるまでただ待っているだけなのよ」くらいであった。つまりご主人は典型的な亭主関白で、実際には陰で相当苦労していたのではないかと思うほど献身的でした。そのご主人が昨年の10月下旬、突然倒れたのです。 

 後になって聴いた話では、ご主人は以前から心臓が弱く、糖尿病予備軍としてお医者さんから注意するよう言われ、糖分を控えるように進言しても全く聞く耳を持たず、飴やキャンディーを絶えず食べていたとの事で、突然、検診先の病院で具合が悪くなり、即入院となったようです。その事件を知ってから私も遠いラスベガスからちょくちょく彼女に電話をしていました。彼女は「入院先の病院が自宅から遠いので近くの有料老人ホームに転院。コロナのため会えないけれど、着替えや見舞いに行き易くなったわ」と話していました。お医者さんの話ではご主人の様態も、比較的落ち着いて安定しているとのことで、私も気がかりながらも安心して、そのまま1週間ほど電話をかけなかったのです。


 今年に入っての2月末の日 、何となく胸騒ぎがして電話をかけたら、今まで通じていた固定電話がネット環境の整備ができてない可能性があるらしい、との案内だけで一向につながらないのでした。携帯電話にかけても同じで、次第に不吉な予感をぬぐい切れなくなってきました。「ひょっとしたら何かあったのかな」」「いや、これはきっと何かあったに違いない」

 日本にいる共通の友人にお願いしてやっと彼女とコンタクトをとってもらうことが出来ました。「案の定」でした。2月25日にご主人が亡くなり、予想だにしていなかった死に彼女も喪失状態になってしまい、友人と話していても、ご主人が亡くなっているにもかかわらず「退院がまだなのよ~と」とか「着替えを届けないと」といつまでも死を受けいられずにいたとか。そして3月初めの家族葬を彼女は傷心と悲しみのまま迎え、食事もほとんど喉を通らず、恐らく1日の大半をぼんやりと位牌の前で過ごしていたのでしょう。位牌の前で倒れている彼女を身内の方が発見して救急病院に入院したという知らせを、その友人より聞かされて、私も少なからず吃驚したのでした。

 映画館経営の父親の下で、映画ばかり見て育った生粋の東京っ子。彼女は、都内大田区でご主人設計の「遊空間」という喫茶店を経営し、市井で眠っている芸術家の作品を見出しては月毎の展示会を催し、評判のいい経営者であった。芯が強く姉御肌で思いやりがあり、物事をテキパキと処理する能力にもたけていた。そんな彼女だっただけに、あまりの変貌ぶりの思いがけない一面を知らされたのである。

 全てが友人のラインを通しての情報のみで、直面してないだけに何の手助けもできず、遠方からでもなにか勇気づけられる事が出来ないか、と気をもんでいました。すぐに手紙も投函しました。面倒でも食べるようにし、少しでも外の空気に触れるように動く事、気持ちが落ち着いたらも固定電話を修復してもらう事などなど、を1弾、2弾、3弾と同じような内容文を投函しました。

「グリーフ・ケア」。この言葉を知ったのは、恥ずかしい事に彼女の件で詳細が掴めないで埒も明かず、もやもやしていた矢先でした。

                     K/和子


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