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グリーフ・ケアって?(その2)

 アメリカで生活して10年余り、高齢者ケア―やケア・ギバーという言葉は知っており、講習会なども参加したことがあったので、早速資料を引っ張り出したが、一言もグリーフ・ケア―についての文字が見当たらなかった。インターネットで調べたら、1969年ころアメリカで発祥したらしい。

 ご存知の方も、実際に体験なさっている方も多いと思いますが、簡単に述べますと、グリーフ・ケアとは遺族の深刻な心の状態を理解して寄り添う事で、回復のサポートをする取り組みの事とか。

 故人の年齢や亡くなり方、遺族との関係性によって、回復までの時間の長さや道のりは異なるが、苦しい段階を必ず通る。以前なら、大家族や地域社会の中で自然に癒されたのが、社会の変化によって、一人で抱え込んだり、気持ちの上で社会的にも孤立しがちの人が増えているらしい。

 遺族がたどるプロセスとしてはショック期→心が麻痺し大切な人が亡くなったという事実を認める事が出来ない場合もある。又故人に会いたいという切望、落ち込みや悲しみ、故人が生きているような感覚を覚える事もあるとか。混乱と絶望→罪悪感や怒りと言った複雑な感情が沸き上がり、一時的な不眠症や食事拒否のケースもあるらしい。又死別の内容は複雑多岐にわたっていて、例えば、経済的支柱を失う、パートナーの喪失、孤独の話し手、愚痴の聞き手、相談相手、事務処理の担い手の喪失など、不安や恐怖が入り混じった混沌とした意識になっても不思議はないそうです。

 大切なことは、不安や悲嘆の感情に抗わず、訪れる悲しみをどのように捉え、理解し認識していくかという事。「立ち直り」の時間は個人差がとても大きく、その人の生活歴、性格、人生観、生き方などに大きく左右される。3~6カ月、2~3年、5~10年と悲しみを長引かせる人もいますが、大多数はゆっくりと克服していく。

「立ち直り後の悲しさ」は、自分を追憶させる優しさや懐かしさ、人生を見つめ直そうとする思慮深さまで備えているようになり、「自分自身からの立ち直り」と言えるものになっていると書かれてあった。

 


さて、話を戻すことにしましょう。結局、電話がつながらなかった理由は、息子さんが、ご主人が固定電話とネットを繋いでいたのを、彼女に相談なく不必要として全部外してしまったとの事。息子さんは携帯だけで十分と思ったらしいが彼女は携帯音痴、使いこなせなくなりより絶望的になったかも。私も同じ口なので、心理的不安はよく理解できた。

 4月8日に固定電話への接続の手続きをすると、友人から聞かされていたので、通じたとの知らせを受けるや、待ちに待った電話をかけました。日本は朝の7時半、ル、ル、ルーの長い呼び出し音に「あらっ、居ないのかしら?」「もしや、、」など頭をもたげてくるのは再びマイナス要因だけ。切ろうとした矢先、やっと電話口に。彼女は狂喜のようになって電話がつながったことを喜び「辛いのよ~来て~、来て~」泣きながら繰り返すのみでした。

 「グリーフ・ケア―」の言葉が頭を横切り、何とか寄り添って上げたくても、どのように接していいのか、ハタっと言葉に行き詰ってしまった。「落ち着いて」と呼びかけ、彼女の気持ちの高ぶりが収まるまでなすがままに、私は聞くだけにしていた。少し落ち着いたようなので「私から話してもいいかしら?」やっと彼女も聞ける体制に。苦しい気持ちに抗わず悲しい時は泣く事、食べたくなくても食べる事、時間が気持ちを落ち着かせていく事、少しでも外の空気に触れる事など、をぽつぽつと話しました。

「分かっているんだけど~、心配かけてご免ね」と私を気遣っての言葉が出始めれば、悲しみの揺れを繰り返しながらも立ち直っていけるだろうという安心感が得られた。それから3日に一度「どうしているの~、少しは食べている?」「お天気は?」と差し障りのない内容の呼びかけ電話を心がけ、彼女から「3週間も入院していたのよ」「服がぶかぶかよ、、」と自分の状況を少しずつ話し始めてきたので、気持ちが落ち着きつつある証と、ほっと気持ちを撫でおろしているこの頃です。

 個人差があるグリーフ・ケアの在り方と捉え方で、どこまで働きかけ、きっかけを作っていくのがいいのか正直迷ってしまったのは事実です。「自分が嫌だという言動は相手にもしない」この当たり前のルールを頭に置きつつ、応答する緊張感を味わっている今、グリーフ・サポートを体験するケースが周りに出てきた時、専門的でなくても知識として心構えを知っておくことが良いのではとつくづく感じさせられた今回の体験でした。皆さんでしたらどうなさったでしょうか?

                       K/和子

 

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