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 ネアンデルタール人とヒト

 ウクライナ侵攻が始まってから1年が過ぎましたが、未だに戦況は膠着状態にあるようです。ロシアもウクライナもお互いに歩み寄ろうとしていませんので、この戦争が終結するのはまだまだ先になりそうです。いかなる理由にせよ、国家間でこのような悲惨な戦争をしたり、又各国での内乱が絶えないのは何故か、を考えたりしていました。


 そんな矢先、「絶滅の人類史―なぜ『私たち』が生き延びたのか」(更科功、NHK出版新書)を読み、その中で論じられていたネアンデルタール人のことを思い出しました。これまではネアンデルタール人が約4万年前に地球上から姿を消したのは、「ヒトがネアンデルタール人を絶滅させたから」と考えられていました。その「ヒト」とは、私達の今の姿、すなわち「ホモ・サピエンス」の進化がいくつにも枝分かれしたその一種類の私たちの事です。

 直接戦いをして絶滅させたわけでなく、「ヒト」がネアンデルタール人の住んでいた土地にずかずかと入り込み、一時的に共存していた時代もあったらしいですが、「獲物を横取り(先取り)したりした」結果、家族集団で暮らしていたネアンデルタール人は飢餓に陥り、結果的に絶滅したそうです。実際、最近の研究でも、シベリア南部の洞窟で見つかったネアンデルタール人の骨は、父親と10代の娘など遺伝的つながりのある家族集団のもので、「餓死した」ものとみられています。

 ネアンデルタール人はヨーロッパの寒冷地帯に住んでいましたが、その地域に順応すべく、背丈は現生人類よりもやや低く、体重は63~82キロとはるかにずんぐりした体格で筋力も強かったようです。また、脳の大きさは現代人と同等で頭もよく、最近の研究では道具を使うだけでなく、食料を栄養源とした調理、接着剤を作ったり、衣服や装飾品を作り、壁画も描いていたとか。

その本によると、「ただしネアンデルタール人を後ろから見たら、普通の人だと思うだろう」。しかし向こうが振り向いたら「うわっ、こんな人見たことがない」と吃驚するだろう書いてありました。そんな彼らがなぜ寒冷適応が不十分な「ヒト」に負かされてしまい、絶滅してしまったのか。

 視覚や聴覚に関する領域が優れ、家族集団で暮らしていたネアンデルタール人に対し、「ヒト」は150人位の集団で暮らしていたようで、「大きな集団を形成し、子孫を多く残す。考えを効率的に伝える能力が彼らよりも上まっていた」と考えられており、「ヒト」が優位に立ったのは、ヒト個人が優れていたからではないようです。

  凡々の私でも生きていられる。何かうれしいような、悲しいような内容です。それとヒトのもう一つの特徴は、「クレイジーさ」と考えられていたようです。ゴリラやチンパンジーよりも筋力や筋肉の力が弱かったから、森林から出ざるを得ず、色々な生息地を広げるために「対岸に陸地が見えないのにわざわざ海や川を渡ったり」していたのは「ヒト」だけのようです。いま、「ヒト」は火星にも行こうとしています。最近他界した漫画家の松本零士氏は「帰れなくてもいいから火星に行きたい」と言っていたらしい。ちなみに、「ヒト」が日本列島に到着したのは3万8千年前頃で、台湾から与那国島まで200kmの航路を丸起船で渡ってきたのもこのクレイジーさによるものでしょう。


 このクレイジーさと集団脳で、何世代にもわたる技術の累積が可能となり、高度な技術革新を生んできたものの、それらを上手に駆使し、今人類が抱えている問題(例えば資源の奪い合い)等も、アフリカの動物集団に守られて育ったヒト「ターザン」のように共存ができれば、人類絶滅を回避し解決できるヒントが得られるのではとつくづく考えさせられました。

 同時に、人類学者でも考古学者でもない私の好奇心をも十分に刺激してくれる本でした。

K/和子


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