ハワイの部屋からこんにちわ!!
歌で始まる、そんな生活の出だしを。 横長1枚張りの窓ガラスから遠くの山々の稜線が見える我が部屋は、6階建てアパートの5階。ブーゲンビリアやマンゴーの花、プルメリアの花が住宅や緑の合間に咲いているし、羽衣のような雲の乱舞や変化自在な戯れなども日々素晴らしい。特に、降雨直後の虹彩は低い出だしからだんだん上の位置に、時には
二重になったりします。またハトやダブ(小鳩)、雀、嘴が黄色いマイナバード、時には鶏冠が赤いカーディナル等が、朝夕のラナイ(ベランダ)を訪れてくれます。
平穏な私の朝は、いつもは小鳥らのかしましい挨拶で起こされ、まず窓辺のカーテンを両端にまとめて1枚ガラスにし、日本語放送のラジオをスイッチオン。平日は演歌や懐かしのメロディー、土日は各宗教の礼拝案内などが流れてきます。コーヒーの香りを味わいつつ、未明の薄暗い山の稜線越しの雲の流れに目をやり、朝焼けの兆しを肌で感じ、
ボケーっとソファーで30~40分過ごす贅沢な時間はまさしく至福の時間です。 時々、ごみ収集車のガガガガガーギャッタン、ピーポピーポ鼓膜を破らんとばかりの救急車のけたたましい音。これら狂音が、早朝5時頃から5階の部屋に遠慮会釈なしに上がってき、目覚めを否応なくされる事も生活雑音の愛嬌の一つとして受け入れざるを得ない。
私に安らぎを与えてくれる香り高きコーヒーは、私がいれたものでなく我が相棒、彼の作品です。私には手も触れさせず彼独特のうんちくで調合されたコーヒーは確かに美味しい。「天下一品」とか、「配合をどこで学んだの?」と褒めると,相好を崩して解説してくれます。日に何倍も飲み、その恩恵の罰が当たったのか、歯が鉄漿のように黒くなってきたのにはびっくり。「今さら、気にする齢でもあるまいに」「そんなこと」と言い合いつつ、今はマグカップ2杯で我慢しています。
心身贅沢三昧の私
がハワイに居を移して今年で8年目に入りました。と言っても自分で自助努力は何一つしていないのです。有り体を申せば、50年近い“腐れ縁”の彼が住んでいるアパートメントに体よく転がり込んだにすぎません。
彼は43年ハワイ在住、奥様を肝硬変で亡くされました。彼自身も身体を悪くして30人規模の自営レストランを廃業。その後はJTBやブライダルの仕事を経て、最近ではネットによる観光ドライバーをしていました。シフトが早朝3時半起きで午後2時頃戻りとか、12時頃から22時頃、或いは3時半から22時までの通しだったり様々で前日まで全く予定が立たない仕事をしていましたが、コロナの影響で昨年の3月より失業、今は気ままな生活をしています。
私の心情の大きな変化は、10年前のあの忌まわしい東日本大震災でした。東京でも3月にしては肌寒い11日、ホテル・ニューオオタニ別館の10階で仕事をしていた時、震度6強の地震がおきました。全ての交通網がマヒし、11時間歩いてやっと戻った横浜の我が家は足の踏み場もない惨状。大家さんや町内の方々の力で、どうにか寝られる状態に戻ったのが3日目でした。この時ほど、
友達に恵まれていた幸せと、支え合うつながりへの感謝を身をもって思い知らされました。
震災から3ヶ月後、私の身と気仙沼の友達を心配して訪日してくれた彼と共に気仙沼に。被災地は未曾有の津波と重なり、気仙沼の友達の家を始め地獄絵のような惨状を思い出すだけで辛いものがありますが、同時にこれまで私の怖いもの知らずだった無謀さの心身に、微妙な変化をもたらし先行きへの不安を覚醒させてくれたのです。そして思案の末、彼の「在りのままと好意」を受け入れる決心をしたのでした。
「ハワイへ行く」と返事をしてからの彼は英語堪能な友達の協力を得て、市民権獲得に必要な試験問題の猛勉強を始め、3回目で市民権獲得。「こんなに勉強したのは初めて」とか。アメリカ人の伴侶として永住権を取得するのに長いと3~5年もかかる人もいるらしいですが、私の場合は幸いなことに1年半で永住権が取れたのです。ひとえに彼の努力の賜と感謝しています。
その後、 私自身は歴史と愛着のあった横浜での家具や調度品、書物の殆どを泣く泣く処分、2014年の2月、身一つで彼のアパートに迎えられました。ハワイ生活がスタートしました。 1日見ていても飽きない自然を舞台に演技する役者たち、なかなか得る事の出来ない自然との一体感。このような環境を与えてくれた彼に感謝してもしきれないものがありますし、遅まきながら誰の著作かは忘れましたが、「置かれた場所で咲きなさい」の言葉通り、家族や知人、友人達のつながりを財産として、謙虚に老成していかれたらと思う今日この頃です。
東日本大震災から10年目を迎える3月11日、震災時から数か月後に気仙沼の友人宅を訪れ、地震津波の爪痕の残酷さを垣間見た事が、私をハワイに定住させた起点の一つでした。
年数が経つ毎に風化していく自分の気持ちを引き締めるために、忘れないために、ここに記してみました。
2021年3月 K/和子
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