会員の独り言

ヴァンクーヴァ―との再会 
  自然と共存のバンフから太平洋への出口、ジョージア海峡に面したブリティッシュ・コロンビア州のヴァンクーヴァ―とビクトリアに。

カナダ第3の規模を持つ大都市ながら、「世界で最も住みやすい都市」と呼ばれ、

海や森が身近に感じられる環境のヴァンクーヴァ―空港に降り立ちました。手荷物が身軽でも英語力の弱い二人、私の提案で、何事も経験と空港からスカイトレインに挑戦。案内人の鼻音英語に分かったふりをして乗車、トレイン自体はのんびりした速さなに、ドアの開閉時間は秒速並み。案の定、降りる駅を通り越して慌てて下車し反対側ホームへ。再乗車し、アナウンスの声を聴き逃すまいと下車駅を地図で再確認。周りの乗客に助けられながら目的駅に下車、やっと地上に出られてほっとしました。

今度は地上出口にあった市バス停で、ホテル近くまで何番の市バスに乗るかわからないので、バスの運転手にホテル名と通りの名前を伝えても、首を横に振られるばかり。夕闇が迫る中、地図を頼りに通りすがりの人に聞きながら、歩き始めて40分、やっとこさの思いでホテルに到着したのでした。「だからタクシーにすれば良かったんだよ、もう君の言う事は聞かないから」と彼はすっかりオカンムリ。

 ところがホテルでまたまたひと悶着。予約したツインがダブルに変わっており、早速にクレーム。慇懃無礼の白人のフロントマン曰く「ツインは満杯で空きが無いので、ダブルにベッドを二つ入れるが」。「冗談じゃない!3月に予約しチャージまでされているのに、何故か?この責任はどうしてくれる」と意外にも彼は一歩も後を引かず。待たされる事30分、通りに面した23階のツインを確保で来てやっと一件落着。通常の日本人だとおとなしく我慢をしてしまいがちとか。38年培った彼の無手勝流英語に脱帽でした。

彼もこれに自信を得たのか翌日には、英語でのツアーの近郊カピオラニの吊橋やザ
ウルス山を巡るオプショナル・ツアーに参加。ザウルス山からの景観は霧のため見えなかったが、木こりによるエンターテイメント・ショーや鷹や隼のショー、熊の演技など結構楽しめました。外国人ガイドとジェスチャー混じりの会話をしながら笑い興じている彼をちょっぴり見直しました。

 「是非に」と勧められた対岸のヴァンクーヴァ―島の南端にあるビクトリアの日帰りツアーにも参加。毛皮交易の拠点としての砦と、イギリス基地の前線基地として発展し、時のイギリス女王の名を取り「ビクトリア」と命名。イギリスの統治下にガーデニングやアフタヌーン・ティーなど英国風の生活習慣を色濃く残し、街中花で溢れかえっています。ブッチャート夫妻が石灰石の採掘が終わった採石場跡地に花を植えたのが始まりのブッチャート・ガーデン。庭園はサンクン(Sunken Garden)、ローズ、イタリアンや地中海、日本庭園の5つに分かれて一見の価値がありました。

イギリス風の最高級ホテルでのランチはまあ~まあながら、タウンの出窓の飾り花の美しさが、土砂降りの雨の中でくすんでしまってたのにはとてつもなく残念でした。ヴァンクーヴァ―最終日の午前中を、ハーバーの景色を楽しみながらぐるっと散策、ここでも高級レストランでのサーモン料理とワインに舌鼓を打つたのです。

カナダ在住歴29年の日本人ガイド曰く。シンガポールや香港の財閥が軒並みビルを買収し、不動産の建築ラッシュで、かつて賑わっていた日本人町や店舗はどんどん閉鎖、日本人ガイドも極端に減少で寂しい限りだそうです。純粋に近いカナダ人は、ケチで大雑把で多少の欠陥やぼろ屋や隙間などにこだわらないそうです。ですから自分達で修繕したり繕ったりするのが当たり前の認識を持っているから、桁外れの大金持ちは少ないとか。その上、人種差別は無いようで有り、白人以外の人種で英語やフランス語が話せないと、目に見えないところで差別される傾向が今だにあるようです。例えば仕事が白人以上に優秀でも給与に差が有ったり、チップをわざとを置かない等、変わりつつあるカナダの話が尽きませんでした。

さら~ば ヴァンクーヴァ―よ

 ヴァンクーヴァ―空港でのホノルル直行便名はエアーカナダ。空港内がすでにUSAの入国管理になっているとも気が付かず、チェック荷物の1個25ドルをケチり、全てを手荷物にしたため入国検査に引っかかり、数少ないお土産のサーモンやメイプルなど全て没収されてしまったのです。しかも、又最初から列に並ばされて再検査、遅々と進まない列に、彼の疲労度は極限寸前だったのか、崩れ落ちるように屈みこんでしまったのです。列から逸れ、問いかけても一言も口にしない彼が立ち上がるまで私もやむなく彼の傍に。お土産屋で、機内持ち込みの注意事項をさんざん聞かされていたのに、私達より大きなトランクを手荷物にしている乗客の次から次への通過に、荷物代をけちり、すっかり大丈夫な気持ちになってしまった我々の甘さ、油断。「月夜に釜を抜かれる」(ひどく油断をすること)とはまさにこのことと苦い反省をさせられました。

  今回のカナダ旅行、私は「3歩下がって影を踏まず」で、彼に一切合切の主導権を任せました。彼は、日本以外初めての外国で、男としての沽券にも係ると思っていたのか、空港やホテル、レストランでだいぶ緊張していたようでした。それに比べ私が難事にもどこ吹く風の他人顔しているので、彼の怒り心頭が爆発し、戻りの機内で彼曰く「もう2度と君と旅はしない」と、口にチャックをしてしまったのです。私と言えば、ヶ、セラセラ。喉元過ぎればで、次への旅への思いが膨らんでくる日はいつか、楽しみに待っている昨今です。      


/kazuko   201610月)

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